ZARD 坂井泉水の死因は自殺か事故か?ガンの闘病生活と復帰の夢

ZARD 坂井泉水さんの死因は未だに謎めいているガンの闘病生活中の自殺か事故か?と没後12年目にして関係者が明かした復帰を夢見ていたという当時の様子を調べてみました。


ZARD坂井泉水を襲った病気は子宮頸がん


休養に入るまでの坂井泉水さんの新時代への苦悩をこちらの記事でご紹介しました。

ZARD 坂井泉水とはどんな人?大黒摩季と抜け出しコンビニへ行く


その休養からの復帰後からガンとの闘病生活と最後の日の真相をご紹介します。


休養から復帰後、ZARD第二章として初のライブツアーを開催するなど新たな挑戦をした坂井さん。

しかしこの頃から徐々に病魔が忍び寄っていたのです。


坂井さんは2000年頃に「子宮筋腫」「卵巣嚢腫(らんそうのうしゅ)」「子宮内膜症」といった婦人科系の病と戦っていたそうです。

その為、ツアーの最中も体調が優れず、リハーサルができないまま本番を迎えることもあったといいます。


女性ならではの体調の周期。月経の痛みや体調不良が重くひどかった坂井さん。

寝込んでしまうこともあったため、その時期を避けながらツアーを組むなどの配慮をしていたそうです。


スタッフには子宮筋腫があることなどは伝えていたそうですが、本人が「歌いたい」「歌詞を書きたい」と強い意志があったため、周りは労わりながらも普通にやっていこうというスタンスだったそう。


病と向き合いながら活動をしてきた坂井さんですが、2006年4月。自ら体の異変に気がつき病院へ行ったところ、「子宮頸がん」と判明しそのまま入院したのでした。


ZARD坂井泉水 入院直前の様子

緊急入院のその直前まで、プロモーションビデオの撮影をしていたという坂井さん。

一緒に仕事をしていたアートディレクターの鈴木謙一さんが当時をこう振り返っていました。


その時は、体調が悪そうというよりも、坂井さんが珍しくウェディングドレスを着て撮影がしたいと事前に提案があった


撮影中は辛そうな様子は全くなかった

辛い部分を見せないようにしていたのかもしれないですけど


鈴木さんの元に、入院中の坂井さんから電話があったそうです。


手術をするんだけれども、正直すごく怖いんです


すごく声が震えていて恐怖心とかが伝わってきたそうです。

電話口でただ、ただ無言でうなずいて彼女の言葉を聞くしかできなかったといいます。


人前でいつも明るく振舞っていた坂井さんの弱音でした。


ZARD坂井泉水 死去

入院から1年がすぎた2007年5月26日の早朝。

坂井さんは高さ3mの病院のスロープから転落し昏睡状態になりました。


12時半くらいに「すぐに慶応病院の方にきてくれ」と危篤の連絡を受けたレコーディングエンジニアの島田勝弘さん。

意識のない坂井さんと病室で対面した時の様子をこう語っていました。


島田さんは最後の方だったんで、病室にはスタッフが集まっていたそうです。

延命措置は取らないというご家族の意向を聞かされ、手を握りお別れをしたのでした。


この翌日、坂井さんは家族に見守られながら息を引き取ったそうです。

40歳という早い死でした。


親交のあった大黒摩季さん

ZARDのデビュー曲からコーラスを担当してきた大黒摩季さんは、坂井泉水さんが亡くなった連絡を受けた時のショックで動けなかったと話していました。


「何もかもが止まった。血も臓器も全てが止まっていく感じがして声も出なかった。とても大きなものを失った感じがして今思い出しても涙が出てしまう」


苦楽を共にしてきた憧れとリスペクトをしていた存在を失い残された人も辛かったのだろうなという悲痛さが伝わってきました。

1ヶ月後の「偲ぶ会」には4万人ものファンが訪れたのでした。


坂井泉水の転落死は自殺なのか?

坂井さんが亡くなったというその衝撃的なニュースは、たくさんの憶測を呼びました。

がん闘病の辛さからの自殺なのか?

それとも不慮の事故なのか?


病室ではなく、外のスロープからの転落と報道され、自ら飛び降りたのか?誤って転落してしまったのか?

その真相は今でも謎のままです。


ごく一部のスタッフにしか明かしていなかったガン闘病。この時、坂井さんは何を想い、何を見つめていたのでしょうか?


闘病中に坂井さんからメールをもらったという音楽ディレクターの寺尾広さんは、絶対に自殺ではないと信じていました。


もう一回入院しました。でも頑張っているんで、ぜひまた音楽をやりましょう!


「そんなメッセージをくれて、入院中も日常の業務として詞を書いたりしていたのですから、とても自分から諦めるようなことは絶対にないと思います」


面会に来た周囲のスタッフにも、

必ず元気になってライブをやりたい

と意欲的に話していた坂井さん。


ZARD生みの親との最後の会話

さらに亡くなる数日前に会話をしたというZARDの生みの親であるプロデューサーの長戸大幸さんはこう話していました。

「韓国の俳優からデュエットのリクエストが来ていることを伝えました。

退院したらレコーディングの準備をしようと話し、彼女はとても喜んでいた」

「永遠〜君と僕との間に〜」より

最後まで再び歌うことを想っていた坂井さんが自ら命を絶ったとは思えない。思いたくないという、長年一緒に歩んで来た人たちだからこその気持ちが伝わって来ました。


入院中にレコーディングした遺作


入院中のわずかな時間、レコーディングスタジオで最後に歌入れをした歌があります。

「グロリアスマインド」

2回か3回しか歌わず、短い時間の中で完成させなくてはいけないという気迫をスタッフは感じたそうです。


体調不良を感じさせず、最初から100%のパワーで歌っていたという坂井さん。

歌うことが大好きで妥協を許さない最後の歌声も力強く響いていました。


ZARD坂井泉水の死因についてのまとめ

坂井さんがライブで語った言葉があります。

私はいつも詞を大事にしてきました。

それが音楽を通じて伝わるといいな


坂井さんは、スーツケースがいっぱいになるほどのメモを残しています。

単語や言葉、詩などが詰まったそのメモは、今まで組み合わさって名曲となっていきました。

そして、まだ曲になっていない言葉たちが溢れています。


この言葉たちを詞にして、歌にのせ届けたいと最後まで想っていたのではないか、そう私も思いたいです。


もちろん、病院という安全な設計をしてある場所で誤って転落をするだろうか?

周囲からの励ましや復帰をしたいという理想の自分と現実とのギャップ。どうにもできない病気の進行、元気でいなきゃというプレッシャーなど。

「ふとした瞬間に」糸が切れてしまったのかもしれないという考えも浮かびます。


それでも、彼女が込めた数々の言葉が多くの人の勇気になったのは事実です。

その彼女が最後まで諦めてはいなかったとやはり思いたいのです。

そんなファンの方が今でも多いのではないでしょうか?


カリスマから伝説となったZARD坂井泉水さんとその楽曲をまだ知らないという人にもこれから知ってもらえたらいいですね。


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