イギリス留学から帰国し、テレビに引っ張りだこのウエンツ瑛士さん。
子役時代から芸能活動をしていて、NHKの「天才てれびくん」でブレイクしました。
そんなウエンツ瑛士さんは、中学3年生の時に1年間引退していたそうです。
その時の苦悩と、復帰したきっかけについてご紹介します。
ウエンツ瑛士が子役時代に引退した理由は?
ウエンツ瑛士さんは、子役から芸能界で活躍しており芸歴は30年にもなります。
しかし、1年間だけ芸能界を引退していた時期がありました。
ウエンツ瑛士さんは、父親がドイツ系アメリカ人で、母親が日本人のハーフです。
ハーフ顔を活かして4歳でモデルデビューをして、当時”天使系美少年”と言われ雑誌などに掲載されました。
天才てれびくんでブレイク
1995年の小学5年生からNHKの子ども番組『天才てれびくん』にレギュラー出演。
ジャニーズ事務所の生田斗真さんらと、一緒に5年間出演していました。
人気者となったのですが2000年の中学3年生の時に、番組卒業と共に芸能界も引退したのです。
なぜ引退したのか、2015年4月8日放送の日本テレビ系『ナカイの窓』に出演した際に語っていました。
もともと自分の意志ではじめたことではなかった芸能活動。
『天才てれびくん』時代は「人生のピーク」と自覚するほど一世を風靡したが、今のようにハーフの芸能人が多くなかったこともあり、成長するにつれて顔立ちだけで役柄から除外されることが増えてオーディションに落ち続けた。
自分への需要と続ける意味を見失ったウエンツは「どんどんやる気が無くなって…」と引退を決意する。
引用元:マイナビニュース
成長と共にハーフで悩む
「天才てれびくん」以外にも、子役としての活躍がすごかったウエンツ瑛士さん。
引退までの主な活躍がこちらです。
- 1989年:4歳 モデルデビュー雑誌・CMなどに出演
- 1994年:9歳 劇団四季のミュージカル『美女と野獣』のチップ役
- 1995年:10歳 NHK『天才てれびくん』レギュラー出演開始
- 1995年:ZOOの全国ツアーバックダンサーとして同行
- 1995年:『第46回NHK紅白歌合戦』 森高千里のバックダンサーで出演
- 1996年:LUNA SEAの「IN SILENCE」のPVに出演
- 1998年:『第49回NHK紅白歌合戦』 西田ひかるのバックダンサーで出演
- 2000年 :CM『森の水だより〜美少年編』 (コカ・コーラ社)に出演
- 2000年:『天才てれびくん』を卒業
こんなに順風満帆だった芸能活動でしたが、成長していく毎に役柄が限られてしまったことに苦悩していたのですね。
ウエンツ瑛士が子役時代に引退から復帰した理由は?
では、なぜ1年という短期間で復帰をしたのでしょうか?
そのことについても、2015年4月8日放送の日本テレビ系『ナカイの窓』で話していました。
芸能界を引退してからも、複数の事務所からのスカウトがあったそうです。
しかし、「興味がない」と断り続けていたというのです。
そんな中、復帰を決めたきっかけがありました。
すぐに複数の芸能事務所からオファーを受けたが、1社ずつ「興味がない」と断りに行く日々が続いた。そんな中、最後に断りに行ったのが現在の事務所。
郷ひろみの紹介だったこともあり、ウエンツは同席した母と共に雰囲気にのまれてしまい、契約書にサインした。
引用元:マイナビニュース
雰囲気にのまれて、契約ってすごいですよね…
それでも、とりあえず契約というくらいで、やる気は戻ってこなかったそうです。
一種の燃え尽き症候群みたいな状況だったのかもしれませんね。
そんなウエンツ瑛士さんが、再びやる気を取り戻したきっかけがありました。
それでも一向にやる気が出なかったウエンツだが、ある日のマネージャーの行動で心を入れ替える。
「マネージャーが仕事を取りに行くところを見て来い」と言われてテレビ局のあいさつ回りに同行すると、マネージャーが目の前で「仕事をこの子にください」と土下座する瞬間を目撃。ここで「やらなきゃいけない」と決心した。
引用元:マイナビニュース
自分の為に、一生懸命に頭を下げてくれるマネージャーの姿に感化されたそうです。
そこから、現在の活躍に繋がるのですね。
しかし、このマネージャーさんは半年後に辞めてしまったそうです。
「俺の士気だけ高まって、ぶつけるものが無くなったんですよ」と思い返し、「あの人のために頑張ろうとしたのにあの人はもういないんです!」
引用元:マイナビニュース
でも、この経験がなければ、再び引退していたかもしれないですよね。
ウエンツ瑛士さんが、どんな仕事も全力で取り組む理由は、この時の光景が胸に焼きついているからかもしれませんね。