和田アキ子 父親の暴力と叔父の逮捕に苦難の生い立ち韓国人から日本人へ

和田アキ子の生い立ちが壮絶だった。在日韓国人だったルーツからレコ大で菊の花束を送られたり、イジメ・殺したいほど憎んでいた父親からの暴力・映画のモデルにもなった叔父の逮捕など壮絶な子供時代を過ごしていた。


和田アキ子は父親と母親は在日韓国人

芸名:和田アキ子
韓国名:金 福子(김복자)Kim Bokja
帰化前の日本での通称:金海 福子(かねうみ ふくこ)
帰化後の名:和田 現子
結婚後の名:飯塚 現子

生年月日:1950年4月10日
身長:174cm
血液型:O型
出身地: 大阪府大阪市天王寺区舟橋町
学歴: 城星学園高等学校中途退学

芸能活動: 1968年 デビュー
事務所: ホリプロ

和田アキ子さんの父親は韓国の済州島出身のキム ソンギスークさん、母親は朝鮮半島出身の和田 森子さん(金海 森子)さんで、在日コリアンとして日本で生活をしていました。


和田アキ子さんの父親には本妻がいて、更に2号さんもいるそうです。さらに和田さんのお母さんは3番目の妻だったというのです。

昔の日本も2号さんがいるのが当たり前の時代もあったので、当時も不思議ではなかったのかもしれません。


和田アキ子さんは4人兄弟の長女の生まれ、下には3人の弟さんがいるそうです。


父親は大阪で100人以上の門下生がいる柔道場「金海道場」を営んでおり100kgを超える巨漢だったそうです。母親は乾物と米を売って生計を立てていたそうです。


この道場にはプロレスラーの大同山又道が通っていたそうで、大同山又道の娘の高英姫(当時9歳)が稽古に着いて来ていたそうです。

この時、和田アキ子さんは12歳で、高英姫さんの面倒をよく見ていたそうです。


驚くべきは、この高英姫さんが後に北朝鮮の金正日の本妻になったのです。
つまりは、金正恩の母親だということです。

幼馴染が後の北朝鮮最高指導者の妻になるとは、数奇な運命ですね。



和田アキ子は父親から暴力を受けていた

和田アキ子さんは子供の頃から体がおおきかったそうです。父親に6歳から空手と柔道を叩き込まれたそうです。

父親は「男尊女卑」「暴力的」でその矛先が弟3人ではなく、和田アキ子さんへ集中していたのです。


厳しい父親の前では常に正座と敬語でいることを矯正され、少しでも父親の気に触れば小学生の女の子でも容赦なく殴られたというのです。


ある日、ベルトで殴られてバックルが下唇を貫通したことがあり、それでも父親は「ボケッ、コラッ」と殴り続け、貫通したまま泣きながら病院に行った記憶が今でも消えないそうです。その時の傷が今でも残っているというのです。


口より先に手が出る父親に、和田さんは「あたたかい家庭」へ憧れを抱くようになったそうです。


和田アキ子は父親を殺したいほど憎んでいた

父親からのしつけという名の暴力に、これが父親からの愛情というものなのか?と分からなかったそうです。

ある日、和田さんは、父親に

「私は本当にお父さんの子供ですか? いつか、あんたが寝ている間に包丁で刺し殺して、私も死んだる!」

と訴えますます父親との溝が深まったそうです。


それに対して父親は、

おう、やってみいや、お前、先に殺してやるから…


この厳しい家庭に我慢ができなくなり和田さんは中学1年の時に家出をして、大阪のミナミの繁華街や友人の家を泊まったりと非行の道へ走ってしまったそうです。


因縁をつけては、手当たり次第にけんかを持ちかけ暴れる日々。その強さは幸か不幸か父親からの鬼の稽古のおかげで柔道初段の腕前で黒帯だったそうです。さらにすでに身長が174cmあったので負け知らず。


道頓堀川に投げ飛ばしては、翌日に死体であがっていないか朝刊をチェックしていたというエピソードもあります。


家出をして1年後の中学2年生になった時には大阪の繁華街で知らない人はいないほどの「不良番長」として有名になって「ミナミのアコ」と呼ばれていたそうです。


父親から離れ不良の道を歩いていた和田さんですが、高校には進学したそうです。しかし、父親が勝手に退学届を出してしまったのです。


そのため、最終学歴は中学ですが、意外なことにカトリック系の女子校だったそうで他校の男子とお付き合いをするなど乙女な一面も持っていたのだとか。

将来の夢も「保母さん」だったのですが、家族全員に反対されてしまったそうです。


望むように生きられない人生に苦しんでいた心を癒していたのが音楽だったというのです。

和田アキ子を救ったホリプロ社長

小学生の頃から盲目歌手のレイチャールズに憧れ、ジャズやブルースなどの洋楽にハマっていた和田アキ子さん。


大阪のジャズ喫茶に通っては、ステージで歌っていたそうです。

そんな和田さんに16歳の時に転機が訪れたのでした。


東京の芸能事務所の男性が声をかけて来たのです。

「直接、社長に会ってほしい」と頼まれると、後日、東京から「ホリプロ」の堀威夫社長が直々に会いに来たのでした。


適当にあしらうつもりでいたそうですが、話を聞いている内に「このまま大阪にいても極道しか道はない」と考え直し、大阪には二度と戻らない覚悟で芸能界入りを決めたそうです。


和田アキ子という芸名になったのは韓国人だとバレないようにするため

当時は「金海 福子」だったため、父親がその名前ではデビューはさせないとし、帰化させ名前を変えさせていました。

「金海」は大阪の在日コリアンの多くが名乗っていた姓だということで、父親が在日韓国人だとバレないようにとの思いだったそうです。


すでに帰化していた兄弟たちが「和田」を名乗っていたため、叔父にあたる和田忠浩(金和淑)と養子縁組をさせ「和田 現子(わだ あきこ)」と名乗らせました。


「現子」が読みづらいということで、芸名はカタカナで「和田アキ子」になったそうです。

そしてついに1968年10月25日ファーストレコード「星空の孤独」で歌手デビューを果たしたのです。


和田アキ子 養子になった叔父がやばかった

叔父の和田忠浩氏は漫画「難波金融伝・ミナミの帝王」の主人公・萬田銀次郎のモデルになった人物だと言われています。

竹内力さん主演でVシネマにもなっていて、2010年にはアメトークで「ミナミの帝王芸人」も放送されました。


貸した金は地獄まで取り立てに行く主人公萬田銀次郎の迫力と、一方で人情に厚い彼の性格が、多くのファンがいる任侠映画の原作

任侠映画さんより一部引用

漫画や映画さながら、叔父も過激なエピソードでした。


大阪で金融業と不動産関係の会社を経営し4億円を貸し付けていたが返済が滞ったとして貸付相手の連帯保証人を右翼団体を使って恐喝。2002年10月に逮捕。

競売入札妨害と強制執行妨害の疑いで2006年9月21日に逮捕。
2009年6月に懲役2年の実刑判決。

山口組系の構成員だったという話もあります。


和田忠浩氏は

「僕はもう『和田アキ子の叔父さん』て言われるのが嫌なんよ」

と、和田アキ子さんへ絶縁状を送ったと言われています。


和田アキ子さん父親の暴力と生い立ちまとめ

しつけを超えた厳しい父の態度はもはや暴力としか言えないほどでした。

生まれ育った環境から逃れるように大阪へ出て居場所のない和田アキ子さんはそのまま極道の道へ進むしかないと思っていたそうですが、その人生をホリプロが変えたのでした。


和田さんの知られざる一面がとても辛い過去だったことが今の和田さんの強さへと繋がっているのですね。


ホリプロからスカウトをされデビューするのですが、そこからの人生はさらに過酷を上回るものでした。

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