歌手・アーティスト

和田アキ子 菊の花事件と子供が産めない悲しみを旦那の愛情が支えていた

和田アキ子子宮ガン

和田アキ子は幼少期の壮絶人生からホリプロ社長により救われたのですがデビューしてからもレコ大受賞式では菊の花束を持たされるなどのイジメにあっていた。離婚と再婚を経験したが子宮ガンにより子宮全摘出を決断した旦那へ当たり散らす日々。それでも和田アキ子を支えた夫の飯塚浩司の愛情がすごかった。


和田アキ子 デビューをしてもイジメにあう日々

和田アキ子さんの父親からの暴力を受けていた幼少期についてはこちらの記事に詳しく書かせていただきましたが、デビューしてからもそれを上回るほどの苦難が待ち受けていました。

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芸能界の先輩からイジメにあっていたという和田アキ子さん。その理由がなんとも理不尽でした。

「男っぽい」「男がいるから着替えられない」「私と同じ黒の衣装だからあなた着替えてきなさいよ」「スニーカーの中に、『男は出ていけ』と書かれたメモ」など陰湿なイジメにあう日々だったそうです。


毎日トイレで泣いていたという和田アキ子さん。

しかし、その悔しさをバネにこいつらよりも売れてやると努力したそうです。


そして、4枚目のシングル「笑って許して」が大ヒット。20万部以上を売り上げ初めての『NHK紅白歌合戦』出場を果たしたのです。


和田アキ子 菊の花束持って歌ったレコ大

イジメは、公の場でもあったそうです。

一番怖かったのは、レコード大賞を受賞した時に、「菊の花束」を渡されたことでした。

レコ大の関係者しか出入りができない状況で、誰かが華やかな花束から菊の花束へすり替えたか、始めから和田アキ子には菊の花束を用意したのかはわからないそうですが、受賞を認めたくない、面白くないと思っていた誰かの仕業だったそうです。


「背の高い女は売れない」こんな風に言われ続け、「男は出て行け」とイジメられ、耐えに耐えて、ついに売れた!その喜びで、歌っている時は全く「菊の花束」だとは気づかなかったそうです。


受賞が嬉しくて、嬉しくて、母親に「テレビ見てくれたか?」と喜びの電話をした時に、

「なんで、菊の花持って歌ってたの?」

そう言われて、慌ててVTRを確認して、はじめて認識したそうです。


自分をイジメた人を今でも忘れないという和田アキ子さん。

バラエティにも挑戦をし、今では芸能界の重鎮として君臨するまでになるのですが、プライベートでもさらに苦難の連続だったそうです。


和田アキ子 元夫 小林甫とのスピード離婚

和田さんは2回結婚をされていて、最初は1976年 26歳の時に当時のマネージャーだった小林甫さんと結婚。

結婚前に同棲5年間を経ての結婚でしたが、結婚を機に担当マネージャーから外れたことから生活リズムが合わなくなり8ヶ月で離婚しています。


「あたたかい家庭に憧れ」21歳の時に恋をし、5年の交際を乗り越えての結婚。当然子供を望んていたことでしょう。

ずっと一緒にいたのに、すれ違いの生活になるなど想像もしていなかったショックは大きかったと思います。

和田アキ子 元夫 小林甫

「憎しみ合わないようにいい関係のまま別れたい」

和田アキ子さんはとホリプロの社長に相談し、離婚の道を選び元夫小林甫さんとの離婚会見を行ったのでした。


現在、小林甫さんは坂本冬美さんらが所属する「ティアンドケイ・ミュージック」の代表取締役になっているそうです。


現在も和田さんのディナーショーのプロデュースを手がけるなど、別れても良好な関係を続けているお二人。大切に想い合っていたからこそですね。


和田アキ子 現在の夫 飯塚浩司との過酷な結婚生活

元夫小林甫さんとの離婚から5年たった31歳の時、現在の夫である飯塚浩司さんと再婚した和田さん。

出演したドラマ『ひまわり戦争』でカメラマンをしていたのが飯塚浩司さん。


和田さんの一目惚れで31歳差という歳の差カップルでした。

旦那さんの年齢もあるので、早く子供が欲しいと願った和田さんに悲劇が訪れてしまいます。

和田アキ子 現在の夫 飯塚浩司

再婚して1ヶ月後、「子宮ガン」が見つかったのです。

命を守るため、和田さんは「子宮の全摘出」を余儀なくされてしまったのです。

またしても、子供の頃から欲しかった「あたたかい家庭」を今度こそ手に入れられると思っていた矢先の残酷な現実。


二度と子供が産めない体になってしまった和田さんは、絶望してしまったのです。

和田アキ子 子供が産めない子宮がん

体と精神的な苦しみの他に、「和田アキ子」という商品価値として周囲が投げかけてくる言葉がさらに和田さんを苦しめていったのでした。


「子宮全摘出」をした和田さんに、事務所は『ガンは死に直結する悪いイメージがある。子宮筋腫ということで発表をしよう』と言われたというのです。

しかし主治医からは子宮筋腫で子宮の全摘出はほとんどありえない本当の事を言ってほしいと、事務所との板挟みになっていたそうです。


愛する人の子供が欲しかったのに、子供を諦めるしかなかった和田アキ子さんとって、この論争はなんの意味があるのでしょうか。

さらに苦しむ和田さんに周囲からは心無い言葉が飛び交ったと言います。


男勝りなイメージでタレントをやっているのに、女みたいに子供が産めない事を悩んだり、子宮の手術を受けるなんて


深く深く傷ついた和田さん。

ただただ、普通の女性としての幸せを望んでいただけなのに。


子供好きを公言していた和田さんに、「子供好きなんて嘘でしょ」と否定されることもあったそうです。

「死ぬほど子供が好き。どんなことをしても産みたい」そう願い続けてきたから、辛いと涙を流すこともあったそうです。


保母さんになりたいという夢まで持っていたほどの子供好きな自分を「男っぽい」という世間のイメージに苦しめられていた和田さん。

歌手・タレントとしての商品イメージと本当の自分の姿と欲しかった幸せとの朝まで追い詰められて行ってしまったそうです。


実の母親に、「代わりに彼の子供を産んで」と真剣に頼んだり、「子供が産めないなら死にたい」と悲痛の叫びをあげていたというのです。

そんな和田さんを献身的に支えたのが夫の飯塚さんだったのです。


別れてちょうだい。女としてのあれがないから

と結婚したばかりの夫に伝えた和田さんでしたが、

和田アキ子 飯塚浩司

子供が欲しいから結婚したんじゃないよ。アコの歌が好きだから結婚した


死にたいくらいの気持ちで一緒に生きていけばいいじゃないか


どん底から救い上げてくれた飯塚さんの深い愛情に和田さんは徐々に元気を取り戻して行ったそうです。


和田アキ子に愛情を教えた山岡久乃さん

最初の結婚をする少し前。1972年 22歳の時に「あの鐘を鳴らすのはあなた」が大ヒット。人気歌手としての地位を築き、毎晩新宿で朝まで飲み歩く生活を送っていた和田さん。


ドラマ「三男三女婿一匹」(TBS系列で1976年〜1980年放送)に出演をするのですが、少し調子に乗っていたのでしょうか?ドラマの撮影現場に遅刻をよくしていたそうです。


『渡る世間は鬼ばかり』にも出演されている山岡久乃さん。飲み明かし4時間も遅刻しさらに胃痙攣をおこし撮影ができない和田さんを叱りつけたことがあったそうです。


『あんた、ドラマを何だと思ってるの! 遅刻するなんて、何事ですか』

『歌が売れてるからって、なんだっていうのよ! ドラマはね、みんなで作るのよ。誰か一人でも欠けたら、みんなに迷惑がかかるの。それを平気で遅刻するなんて、何事ですか』


と激しく叱り、そのあまりの迫力な姿に思わず和田さんは泣いてしまったというのです。


その日の撮影後、山岡久乃さんは和田さんに声をかけたそう。

山岡:『あんた、好物は何?』

和田:『肉じゃがと、ナスの煮びたしです』

山岡:『分かった。あんたは愛情が足らないのよ。明日は朝6時にいらっしゃい』


次の日も懲りずに新宿2丁目で飲み明かしていた和田さん。しかし山岡さんの言葉が気になり、6時に現場入りしました。

するとそこには、山岡さんが和田さんのために「肉じゃがとナスの煮びたし」を用意してくれていたのです。

さらに、それ以外にもおかずを用意し朝食を食べさせてくれたのです。


親の愛情をもらえずに”しつけ”という暴力に耐え、やり場のない気持ちを暴力で発散していた子供時代に、味わうことのできなかった「あたたい家庭の朝食」

和田さんの心はどれだけ嬉しかったことでしょう。


その日を界に毎日、山岡さんは朝食を用意し子供のように和田さんを可愛がったと言います。和田さんも『山岡のおっかあ』と呼び、毎年誕生日に花束を贈り続けたそうです。


和田さんはそれから、一度も遅刻することもなく、一番早く現場に入るようになったそうです。


この時の経験から「愛情を持って叱る」「叱った後はフォローしてあげる」ことの大切さを知ったことで、今の「叱るアッコさん」「お節介なアッコさん」「厳しいアッコさん」「仕事に真剣に取り組むアッコさん」になったのかもしれませんね。


「アッコにおまかせ」のスタッフには今でも朝食を用意してるそうですが、用意するのはスタッフで朝4時から準備をして36種類もの品数なのだとか。

スタッフの為ですが、スタッフは大変そうです。


しかし、山岡さんが食べさせてくれた「朝食」を今度は自分が大切な人たちに伝えたいという優しさと思いやりからと思えば、和田アキ子さんはやはり女性なのですよね。


和田アキ子の姪っ子がきれいすぎると話題

欲しかった子供を諦めるという辛い決断をしながら、立ち直り、歌手として活動を続けてきた和田アキ子さん。

兄弟達も結婚をし、姪っ子を可愛がることで、その心の隙間を埋めていたのかもしれません。


そんな和田さんの支えとなったであろう姪っ子さんが、美人で芸能人みたいだというのです。

名前:和田彩加(わだ さやか)
生年月日:1983年11月21日
年齢:36歳
出身:大阪
所在地:東京都
職業:わだ家 の女将

何番目の弟さんのお子さんなのかはわかりませんでしたが、現在はご結婚されていてリコちゃんという女のお子さんがいます。


和田アキ子 デビュー50周年 武道館ライブ

幼少期からの父親の暴力に耐え、芸能界のイジメに耐え、子供を産めない人生を背負いながらも芸能活動50周年を迎えた和田アキ子さん。


武道館で2日間に渡り行われた「WADAフェス」には、和田アキ子にゆかりのあるアーティスト達が駆けつけ、フェス形式でそれぞれの持ち歌を披露し、後半 和田さんのライブとなるプログラムでした。

筆者もこのフェスの1日目に行ってきたのですが、特に和田さんのファンということではなく、いろんなアーティストの歌が聞けると思いミーハーな気持ちで下が、「和田アキ子」の生歌に圧倒されて帰ってきました。

マイクを使わずに歌い上げるシーンもあり、広い武道館に生声が響く69歳とは思えない声量に驚きました。

交友関係も広く、「お兄ちゃん」と慕う「加山雄三」さんがびっくりするほど歌がうまくて、一番かっこよかったです。

鈴木雅之さんの会場のお客さんを一瞬で巻き込む場慣れした圧巻のステージも楽しかったです。

コーラスの人が、「関ジャムに出てた人だ〜」など、違った興奮もあったり。

倖田來未と「め組のひと」をコラボしたり贅沢なフェスでした。

フェス1日目の司会が出川哲朗さんで、「大丈夫かな?」と心配しながら見ていましたが、いい意味で期待を裏切らないポンコツぶりで、しっかりドッキリも用意されていて楽しかったです。


恐れられ、めんどくさいイメージの和田アキ子さんでしたが、フェスに行って以来、歌手としての実力と、多くの人に慕われていること、お客さんの熱量などを体感し、印象がかなり変わりました。


さらに、今回この記事を書く上で、壮絶な生い立ちを知ることになり、とてもテレビを見ているだけではわからないことを乗り越えて、荒れ狂った子供時代から芸能界で51年戦ってきたのだなと感動すら覚えてしまいました。


これからもステージに立ち続ける和田アキ子さんに感服です。


和田アキ子 菊の花事件と子供・旦那の愛情まとめ

芸能界に50年もの間君臨する和田アキ子さん。テレビで見ている姿はほんの一面にすぎませんでした。

幼少期の家族関係や、芸能界でのイジメ、欲しくてたまらなかった子供を産めないことへの苦しみを抱えながらの歌手生活でした。


旦那様の飯塚浩司の愛情が支えとなっていたのですね。

生い立ちと歌手としての声量のすごさを目の当たりにして和田アキ子さんへの印象が大きく変わりました。


生涯現役を目指している和田アキ子さんをこれからも応援したいと思います。


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