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オリンピック

渡名喜風南の生い立ち&経歴・出身は沖縄じゃない?家族や子供時代を紹介

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柔道の渡名喜風南(となき・ふうな)選手は、沖縄県出身と思われがちですが、神奈川県の相模原市の出身です。

勇ましい姿と、可愛らしい表情にギャップ萌えしてしまう人もいるのではないでしょうか?

どんな経歴や生い立ちの末に、オリンピックの舞台に立ったのでしょうか?

今回は渡名喜風南選手の子供時代や家族構成・柔道を始めたきっかけなどをご紹介します。

渡名喜風南の生い立ちは?

初出場となった東京オリンピックでは、日本最初のメダリストになるなど今後ますます注目されそうですよね。

どのような柔道人生を送ってきたのでしょうか?

渡名喜風南選手は、1995年8月1日生まれの25歳です。(2021年7月時点)

格闘技好きの父親の影響で、幼い頃からK-1などをテレビで観ていたそうです。

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柔道を始めたきっかけは、小学校3年の時に「空手」を見学したそうです。

しかし、なんだか違うなと感じて空手には入門しなかったんです。

その後、神奈川県相模原市にある相武館吉田道場を見学して、自分がやりたいのは「柔道」だと感じたそうですよ。

ヤワラちゃんこと、谷亮子選手に憧れていたそうです。

沖縄出身に間違われることもあるそうですが、両親が沖縄の方です。

渡名喜風南の家族構成は?

渡名喜風南選手は、4姉妹の末っ子です。

  • 父親:渡名喜庸吉さん
  • 母親:渡名喜和美さん
  • 長女
  • 次女
  • 三女
  • 渡名喜風南

父親が20歳のときに、沖縄から神奈川県に引っ越してきたそうです。

母親も父親と同学年で、お2人とも沖縄県南風原町の出身とのことです。

この町名、渡名喜風南選手の名前の由来かもしれませんね。

ちなみに、3人の姉の名前は、全く系統が違うそうです。

1つ上の姉(三女)も柔道をしていました。

渡名喜風南の経歴は?

家族に支えられながら、渡名喜風南選手はどのような経歴を歩んできたのでしょうか?

渡名喜風南の学歴

  • 相模原市立相原中学校 卒業
  • 修徳高校 卒業
  • 帝京大学医療技術学部卒業

小学生時代は、男の子のような見た目を男子から、からかわれていたそうです。

そのおかげで、負けず嫌いな性格に拍車がかかったそうですよ。

中学時代に出場した、近代柔道杯で優勝。

寝技を中心に練習を積んだそうです。

高校時代

高校に進学すると、憧れだった谷亮子選手の良きライバルだった北田佳世さんから指導を受けるようになりました。

  • 高校2年:全日本ジュニア48kg級 3位
  • 高校3年:インターハイ決勝で敗退
  • 全日本ジュニア決勝で
  • アジアジュニア優勝

と、どんどん実力を開花して行ったのです。

順風満帆な柔道人生かと思ったのですが、大学時代にスランプを経験しています。

大学時代

大学に進学すると、なかなか勝つことができなくなってしまったそうです。

思うような結果が出せない中、

「死ぬこと以外はかすり傷」

という言葉を聞いて、心が軽くなったそうです。

それ以来、この言葉を座右の銘にしているそうですよ。

世界大会では、メダリスト達に勝利するも、優勝を逃すなどの試練が続いていました。

渡名喜風南選手の転機となったのが、2016年のリオデジャネイロオリンピックです。

試合を見ていて、「投げ技」をしている選手があまりいないことに気がついたそうです。

そこで、

「柔道を見ている人は、もっと大技が出た方がきっと楽しいはず」

と感じて、大技の練習を強化したそうなんです。

すごい発想ですよね。

その努力が実ったのが、2017年2月のドイツで開催された柔道大会「グランプリ・デュッセルドルフ」で、オール一本勝ちの快挙を達成して優勝したのです。

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東京オリンピックでメダルを取ることを目標に定め、努力を重ねてきたそうです。

渡名喜風南選手の現在の所属先もご紹介します。

大学卒業後は、2018年4月から「パーク24」に所属しています。

女子48キロ級は、2004年のアテネオリンピックの谷亮子さん以来、日本選手が金メダルを獲得していないそうです。

渡名喜風南選手のが一番近い存在として、期待され続けていました。

プレッシャーに耐えながらも、戦い続けているのですね。

応援したいですね。

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