ビートたけしさんの元嫁の幹子夫人とは長年の別居生活でした。
幹子さんの若い頃やビートたけしさんとの馴れ初めが気になります。
結婚と出産後すぐに、別居と離婚をビートたけしさんより言われ記者会見を開いていました。
なぜ長年、別居しながら離婚をしなかったのかなど、時系列でわかりやすくまとめてみました。
ビートたけしの元嫁・幹子夫人の若い頃はどんな?
ビートたけしの元嫁・北野幹子夫人さんは、たけしさんと同じく漫才師でした。
実家は大阪の寺で、幹子夫人の弟はレーシングドライバーの松田秀士さんです。

武庫川女子大学附属高等学校から武庫川女子大学短期大学部を卒業。
大学在学中に「司ミキ」という芸名で「司ミワ」さんと女子大生コンビ『ミキ&ミワ』で1971年に漫才師デビューをしました
その後すぐに「渚ミキ」と改名し東京へ上京。
内海桂子・内海好江師の門下生となり、「内海ミキ」へ改名しました。
東京ではピン芸人として活動していたそうです。
元嫁・幹子夫人とビートたけしの馴れ初めから結婚まで
1978年に幹子夫人がアシスタントをしていた『大正テレビ寄席』でツービートとして活動していたビートたけしさんと知り合いました。

当時、スナックでアルバイトをしていた幹子夫人は、ビートたけしさんが売れない時代を支えてくれたそうです。
ほどなくして2人は同棲を始め1980年に事実婚状態になりました。
幹子夫人は結婚して芸人を引退し、1981年3月に長男を出産しています。
1981年10月10日放送の『オレたちひょうきん族』でビートたけしと幹子夫人が夫婦漫才を披露したこともありました。

翌年1982年10月には長女の井子(しょうこ)さんを出産しています。
その後、1983年に正式に入籍をしたそうです。
しかし長女が生まれてすぐに、ビートたけしさんの方から「別れたい」と話があったそうです。
ここから夫婦関係は不仲になって行ったと言われています。
ビートたけしと元嫁・幹子夫人の別居生活はどんな?
ビートたけしさんとの元嫁・幹子夫人は離婚するまでの事実婚期間を含めた39年間のほとんどが別居生活でした。
2人は別居を続けながら、月に数回一緒に食事はしていたそうです。
誕生日などの節目は必ず会うようにはしていたとのことです。
しかし、離婚を考え始めた2014年ごろからは、会う回数も減っていたそうです。
幹子夫人の自宅に運転手がお土産を届けたりするなど、気遣いは続いていたそうです。
ビートたけしさんは、等々力に高級マンションを所有し生活していました。
ビートたけしと元嫁・幹子夫人の離婚までの経緯
離婚の話は、入籍をした年の1983年からビートたけしさんからあったそうです。
しかも人を介しての申し出で、そこから弁護士を通じて協議をしてきたそうです。
離婚協議初期:幹子夫人の記者会見
幹子夫人は、この別居離婚申し出について1987年9月に会見を開いていました。

「最初で最後、きちんと何でも話すので、もうこれ以上、私も子供を追い詰めないで欲しい」と訴えた。
会見の1カ月前から2児(小学1年の長男、幼稚園の長女)を連れて実家のある大阪に戻り、たけしとは完全別居中だった。
黒いニットのツーピースに黒縁のメガネをかけた幹子さんは、「最初に離婚の話があったのは(昭和)58年から60年の間。本人(から直接)ではなく人をたてて『別れたい』と言ってきた」と明かした。入籍した年(83年)に、離婚を切り出されていたという衝撃の事実が明らかになった。
2019.06.14 デイリースポーツ
幹子夫人は悲痛な思いの中、幼い子供を育てていたのですね。
さらに当時の会見では、1986年8月に「フライデー」にたけしの愛人が掲載された時に、「離婚を決意した」と話していました。
しかし、それから34年も離婚に至らなかったのです。

その理由として、1987年の会見内でこのように話していました。
長男の小学校受験のため、円満な夫婦を演じながら面接を受けていたこと、受験が終わったら離婚問題に向き合おうとしていた矢先の86年12月に“フライデー襲撃事件”が発生。87年5月から弁護士を通して離婚について話し合いを始めたことを説明した。
(中略)
「事件が起こって時期を待つうちに延び延びになっている」
愛人への思いを聞かれると、「2人の中ではいろんなことを“燃焼”したので、彼女のことで自分が追い詰められたということはない」と返答。
「私があの人の“成長”についていけなかった」
2019年6月14日デイリースポーツ
1987年から離婚協議を始めていますが、子供が大きくなっても離婚に合意しなかったことについては、言及していません。
正式な離婚成立
ビートたけしさん72歳、元嫁・幹子夫人68歳となった2019年5月に協議離婚が成立しました。
離婚について話し合いを始めた1987年から32年の時を要しました。

「私事で大変恐縮ですが、このたび、北野武さんと協議離婚いたしましたことをここにご報告させていただきます」
「離婚に至った経緯や合意内容につきましては、取材にお越しいただいても、何もお答えすることはできません。何卒ご理解いただき、温かく見守っていただけましたら幸いです。2019年6月14日 北野幹子」
別居の発端となった不倫相手は、当時女子大生だと報道されています。
さらに、この女子大生は、ビートたけしさんの子供を授かっています。

ビートたけしさんは、この女子大生との不倫後も愛人報道が後を絶ちませんでした。
- 1986年:女子大生と不倫 子供を出産
- 1994年:グラビアアイドル 細川ふみえと不倫
- 1996年:大家由祐子と不倫
- 2014年:元マネージャーA子と不倫(2020年2月に再婚)
財産分与にはどうなったの?
ビートたけしさんは「カミさんに全財産を渡してもいいからオネーチャンと(A子)と再婚したい」と話していたそうです。

幹子夫人は、ビートたけしさんの申し出どおり、全財産を譲り受け離婚に合意したとのとこです。
全財産のは100億円と200億も言われています。
2019年6月15日ビートたけしさんが出演する情報番組「情報7days」にて
「お金取られた~、情けない! 車を返納しちゃったから免許は必要なくなっちゃった。(財産は)ない! 家だけ!」
とコメントしていました。
しかしこれに対して、幹子夫人が反論のコメントを発表し「女性自身」の取材にも応じていました。
6月18日、幹子さんは「上記のような規模の財産が現存するという事実はありませんし、それらの『(ほぼ)全て』が幹子氏に『分与』されたという事実もございません」と否定。
さらに、たけしの発言についても「当方の認識とは全く異なります」と釘を刺していた。
2019/06/21 女性自身
財産分与の正確な内訳については不明ですが、全く無しということは考えにくいです。
ビートたけしさんが、大げさに言っているのかもしれませんね。
幹子夫人は、ビートたけしさんが不倫相手のA子さんとの関係を知っていました。
それでも、『離婚だけは絶対にしない!』とかたくなだったそうです。
しかし、結婚40年を前に『夫の幸せ』を邪魔したくないと最後の愛情を見せたのではないかと言われていました。