巨人の坂本勇人選手の実家は兵庫県伊丹市にあり、3兄弟の次男として育ちました。
中学生時代は相当ヤンチャだったそうですが、両親はプロになれると信じて応援してきたそうです。
しかしお母さんはがんを患っており、プロ入りした年に闘病の末47歳の若さで他界してしまったのすが、亡くなる直前に、坂本勇人選手は試合に招待してホームランをプレゼントしたのです。
厳しい父親と、今でも仲が良いという兄弟とのエピソードなど、坂本勇人選手の生い立ちや家族についてご紹介します。
坂本勇人の両親と兄弟の名前は?
坂本勇人選手は、中学生まで兵庫県伊丹市の実家で過ごしました。
家族構成と両親・兄弟の名前がこちらです。
- 父親:坂本喜代三さん
- 母親:松村輝美さん
- 長男:坂本勇太さん
- 次男:坂本勇人選手
- 三男:坂本勇斗さん
両親の苗字が違うので、離婚していると言われています。
離婚時期については不明ですが、高校生の時に実家で父親に野球を辞めたいと相談したエピソードがありますので、それ以降かもしれません。
3兄弟の名前は、父親が名付けました。
その由来は、1960年〜1964年に第58・59・60代内閣総理大臣だった、池田勇人(いけだ はやと)首相の「勇人はやと」がかっこいいと思ったからだそうです。
坂本勇人の両親はどんな人?
両親とのエピソードで、坂本勇人選手の生い立ちが見えてきます。
坂本勇人の父親について
坂本勇人選手の父親・坂本喜代三さんの職業は、食肉の卸業を営んでいました。
アメリカには牧場もあったとか…
日本にいないことが多かったようです。
小学4年生の頃に、息子の野球の試合を見て、この子はプロになれるんじゃないかと期待したそうです。
坂本勇人選手と父親との有名なエピソードは、高校時代の出来事があります。
坂本勇人選手は、青森県の八戸学院光星高等学校に進学して寮生活を送っていました。
しかし、中学時代のヤンチャ坊主には、規則正しい寮生活と朝から晩までの野球づけの生活に耐えられなかったそうです。
わざと先生に反抗したり、鼻ピアスをしたり…
そして、高校1年生の冬休みに実家に帰省した際に、父親に相談したそうです。
「野球をやめたい」
それを聞いた父親は
「言い出したのはお前だ。やめるならやめろ」
と、説得するでも慰めるでもなく、あえて突き放したそうです。
そして、チームメイトから「戻ってこい」と背中を押されて、そこからは野球に真剣に打ち込んだのでした。
父親へ情けない姿を見せてしまった自分の弱さが、父親をがっかりさせてしまったと、当時の坂本勇人選手には刺さったのかもしれませんね。
坂本勇人の母親について
母親の松村輝美さんは、背が高くて美人だと評判の女性だったそうです。

長男の坂本勇太さんと、坂本勇人さんが所属していた少年野球チーム「昆陽里タイガース」の会計の仕事をしていました。
子供たちを車(黒いベンツ)で野球の練習に連れていくのが日課だったそうです。
後に、車をエルグランドに買い替えて、遠征などにはチームの子供たちも乗せて運転していたそうですよ。
高級車を所有していることから、坂本勇人選手の実家はお金持ちなのではと言われています。
坂本勇人と母親のがん
母親の松村輝美さんは、小腸ガンを患ってしまいました。
坂本勇人選手がプロ入りした2007年には、すでに闘病をしていたそうです。
そして、もしかしたら最後になるかもしれないと思った坂本勇人選手は、入団してすぐの2軍の試合でしたが、母親を招待したのです。
2007年5月12日に行われた、兵庫県姫路市での北海道日本ハムファイターズ戦でした。
その試合で、坂本勇人選手はなんと、第一打席でいきなりホームランを打ったのです。
その勇姿を、目の前で見た母親は泣いて喜んでくれたそうですよ。
そして、1ヶ月後に47歳で他界されました。
最後にプロ入りを応援してくれていた母親に、親孝行ができたんですね。
坂本勇人選手の母親への想いがこもった、ホームランでした。
坂本勇人の兄弟はどんな人?

坂本勇人の兄について
坂本勇人選手の兄・坂本勇太さんは6歳年上です。
兄が先に野球をやっていた影響で、坂本勇人選手も始めました。
兄のグローブで練習をしていたため、左利きだった坂本選手でしたが、「右投げ右打ち」になったそうですよ。
お兄さんは、結婚されて子供もいます。
坂本選手も、とても可愛がっているそうですよ。
坂本勇人の弟について
坂本勇人の弟・坂本勇斗さんは3歳年下です。
2016年の1月にグアムの自主トレに、マネージャーとして参加したことがありました。
練習に付き合ったり、身の回りのサポートをしていたそうです。
当時、弟の坂本勇斗さんは24歳前後。
学生なのか社会人なのかの情報もないのですが、長期間付き添うので自由の効く環境なのかなと思われます。
兄弟の仲が良いことがわかりますね。