二階俊博幹事長には息子が3人います。
また父親は造船会社の社長で、地元和歌山の村長でもありました。
二階俊博氏の家族構成や、息子の経歴と学歴についてまとめました。
二階俊博の家族構成と家系図

二階俊博は、和歌山県御坊市出身です。
妻の二階怜子さんは2018年12月に77歳で他界されています。
- 二階俊博
- 妻:二階怜子
- 長男:二階俊樹(にかいとしき)
- 次男:二階直哉(にかいなおや)
- 三男:二階伸康(にかいのぶやす)
二階俊博の母と母方の祖父は医師でした。
二階俊博の息子:長男
二階俊博氏の長男・二階俊樹さん。
現在の職業は不明で、どこで何をしているのか情報がありません。
1965年4月26日生まれ。
学歴は早稲田大学を卒業しており、証券会社に勤めていました。
しかし、数年で退職して、父の二階俊博氏の秘書として20年以上務めました。
政治家として、父の後を継ぐ期待を寄せられ、2016年に父の地元和歌山県の御坊市長選に出馬。
小泉進次郎さんが演説に駆けつけるなどの演出がありましたが、結果は落選。
選挙当時の引退を考えていた現役市長が、二階俊樹氏には任せられないからと、再立候補をして再任したのです。
当時の市長の発言から、二階俊樹さんの周囲の評価が明らかになったのです。
「現職も、俊樹さんじゃなければ引退するつもりでしたよ。
でも、彼はあまりに評判が悪すぎる。
市役所で職員に暴言を吐いたとか、警察に対しても横柄だとか。親父さんをバットを持って追いかけた、という話もあるくらい。だから親父さんに直接“彼では厳しいですよ”と伝えたのに、降ろそうとはしなかったんです」
引用元:新潮
さらに記事には、地元の人のインタビューも掲載されていました。
「国会議員よりも上という感覚の持ち主。
以前、鶴保さん(庸介・参議院議員)を“けしからんと怒鳴りつけてやった”と自慢していた」
「彼の元に行った県知事の秘書が“もう二度と行きたくない”とこぼしていた」
引用元:新潮
周囲に横暴な態度を取っていたような内容ですね。
この選挙以後、立候補することもなく、政界からも引退しているようです。
二階俊博の息子:次男
二階俊博氏の次男・直哉さんは、コンサルタントをしています。
1972年5月22日生まれです。
2008年8月から2009年9月まで通産省大臣の秘書官を務めていました。
当時の通産省大臣は父親の二階俊博氏です。
文春オンラインによると、秘書をしていた時は、少なくとも約400万円の報酬をもらっていたそうです。
退官後の経産省所轄の一般社団法人の理事になったり、コンサルタントの社長となっています。
しかし、父の側で政治に関わる活動も継続しているようです。
「以降、直哉氏は事務所を離れて中国ビジネスに傾倒していきます。とはいえ、2015年に総務会長だった二階氏が主導して約3000人にのぼる大訪中団を結成した時には、その一員として直哉氏も同行していました。同じ年に、直哉氏は日本とベトナムが共同開催した交流イベントの実行委員に加わっていますが、ベトナムは二階氏が友好議員連盟会長を務めるなど、縁の深い国。直哉氏は父親の政治活動の周縁で仕事をしていると言えます」(二階家を知る人物)
引用元:週刊文春
2018年8月発売の「FLASH」では、コンサルタントとして関係があった人物が反社関係者だったと報じられたこともありました。
また2021年8月25日の文春オンラインでは、東京都が新型コロナウイルスの影響による 緊急事態宣言中にも関わらず、銀座のクラブで酒の提供を受けていたと報じられました。
この取材に対して、
- 銀座のクラブはコンサルの仕事の付き合いだった
- 大訪中団に参加したのは政治活動ではなく自費
- 後継問題に俺は関係ない
と答えていました。
二階俊博の息子:三男
二階俊博氏の三男・伸康さんは元ANAの社員です。
1978年1月4日生まれ。
大学を卒業して、ANA(全日本空輸)へ入社し、国内のeチケットの導入などに携わるオペレーション統括本部旅客サービス部に配属されていまいした。
大阪国際空港のラウンジのデジタルコンテンツを導入する、ミッションなどを担当したようです。
現在は、2014年にANAを退職して、父・二階俊博氏の秘書をしています。
表立ってはいませんが、選挙活動の準備をしているとも言われているので後継者として期待されているのかもしれませんね。
二階俊博の妻:二階怜子
妻・二階怜子さんとは恋愛結婚だったそうです。
年齢は2〜3歳差だと思われます。
元々、父親同士が友人関係で、地元も同じことから小中高と同じ学校だったそうです。
二階怜子さんが、大学へ進学するために上京した際に、先に上京していた二階俊博氏が都内を案内したそうです。
このことがきっかけで、2人の距離がグッと近くなったそうですよ。
デートはもっぱら神保町での古本屋巡りでした。
結婚した時期については、明らかになっていません。
怜子さんは、おとなしい女性で、前に出ることはない奥ゆかしい性格だったそうです。
結婚当初は、東京都国立市で4畳半一間の風呂なしアパートで暮らしていました。
夫が政治家になるとは思ってなかったそうで、どちらかというと怜子さんは政治の世界は嫌いだったそうです。
政治家の妻としてのプレッシャーから、声が出なくなってしまった時期もあったようです。
二階俊博氏は、妻の怜子さんをとても想いやっていたようで
「お前を選挙で街頭に立たせなければいけなくなったなら、俺は政治を辞める」
引用元:産経新聞
と、表に立つのが苦手な妻を一番に考えてくれたそうです。
そんな夫を支えようと、得意な車の運転で東京と和歌山間の移動をサポートしていました。
この移動中の車内が、夫婦水入らずの大切な時間だったとのことです。
2004年に肺がんが見つかり、手術や抗がん剤による闘病生活を送っていましたが2018年12月に77歳で他界されています。
亡くなる2日前に、半日だけですが二階俊博氏と2人きりの時間を過ごすことができたそうです。
