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【問題発言集】森喜朗の過去の内容まとめ!差別や老害と批判・女性蔑視発言の全文紹介

森喜朗の炎上問題発言集、内容

森喜朗氏は総理大臣だった頃もそうですが、過去にも発言が度々炎上していました。

差別発言や老害などと、批判され続けていました。

女性蔑視発言により、海外からも批難されオリンピック大会組織委員会会長の辞職に追い込まれる事態にもなりました。

今回は森喜朗氏の過去に炎上した内容を、発言集にしてご紹介します。

森喜朗の過去の問題発言集・内容を紹介

森喜朗の孫娘の年齢や早実、勤務先の会社

1998年4月「大阪はたんつぼ」発言

「言葉は悪いが、大阪はたんつぼだ。金もうけだけを考えて公共心のない汚い街」

総理大臣に就任する前の発言です。

石川県出身の森喜朗氏が、大阪人に暴言を吐いたのでした。

2000年4月「イット革命」発言

「君、このイット革命って何だ?」

森喜朗氏は、2000年4月5日から2001年4月26日まで総理大臣に就任していました。

総理大臣となって、首相執務室を訪れた省庁の幹部に対しての発言です。

「イット革命」とは、「IT革命(アイティー)」の事だったのです。

「IT」も知らないのかと、週刊誌が報じて明るみになりました。

2000年5月「神の国」発言

「日本は天皇を中心とする神の国である」

総理大臣だった時の発言です。

「神道政治連盟国会議員懇談会」の祝賀会での事でした。

「神の国発言」は、国民主権である日本国憲法を否定すると批判さました。

2000年6月「無党派は寝てしまって」発言

「(無党派層は)関心がないといって、寝てしまってくれればいい」

新潟市内の講演での発言です。

無党派層が寝てくれれば、投票率が下がって与党が有利になるでしょと言う意図があったようです。

2001年2月「えひめ丸事故」への発言

「私が(官邸に)行かないことで、何が遅れたのか」

愛媛県立宇和島水産高の実習船えひめ丸が、ハワイ沖でアメリカの原潜と衝突した事故がありました。

この事故で、生徒ら9人が亡くなってしまったのです。

森喜朗の孫娘の年齢や早実、勤務先の会社当時総理大臣だった森喜朗氏ですが、知らせを受けた後もゴルフを続行していた事で批判されました。

この発言が、総理退陣への要因の1つになりました。

森喜朗の過去にもあった女性蔑視の問題発言内容

2003年6月「未出産女性へ」蔑視」発言

「子どもを一人もつくらない女性を年取ってから税金で面倒をみるのはおかしい」

総理大臣を退任した後の発言です。

自民党少子化問題調査会長だった森喜朗氏は、鹿児島市の公開討論会で未出産の女性に対する蔑視発言だと問題になりました。

2014年2月「浅田真央」発言

「あの子、大事なときには必ず転ぶんですよね」

「見事にひっくり返っちゃたね。転んだことが心の傷に残って、今度は転んじゃいかんという気持ちが強く出たのだと思います」

「日本は団体戦に出なきゃよかった。負けると分かっていた。浅田さんを出して恥をかかせることはなかった」

森喜朗の孫娘の年齢や早実、勤務先の会社ソチオリンピックで、金メダルが有力視されていたフィギュアスケートの浅田真央さんがショートプログラムで転倒してしまった時の発言です。

浅田真央さん自身、フィギュアスケート人生で初の16位スタートとなったのです。

2021年2月の女性蔑視・問題発言の全文紹介

これはテレビがあるからやりにくいんだが、女性理事を4割というのは文科省がうるさくいうんですね。だけど女性がたくさん入っている理事会は時間がかかります。これもうちの恥を言いますが、ラグビー協会は今までの倍時間がかる。女性がなんと10人くらいいるのか今、5人か、10人に見えた(笑いが起きる)5人います。

女性っていうのは優れているところですが競争意識が強い。誰か1人が手を挙げると、自分も言わなきゃいけないと思うんでしょうね、それでみんな発言されるんです。結局女性っていうのはそういう、あまりいうと新聞に悪口かかれる、俺がまた悪口言ったとなるけど、女性を必ずしも増やしていく場合は、発言の時間をある程度規制をしておかないとなかなか終わらないから困ると言っていて、誰が言ったかは言いませんけど、そんなこともあります。

私どもの組織委員会にも、女性は何人いますか、7人くらいおられますが、みんなわきまえておられます。みんな競技団体からのご出身で国際的に大きな場所を踏んでおられる方々ばかりです。ですからお話もきちんとした的を得た、そういうのが集約されて非常にわれわれ役立っていますが、欠員があるとすぐ女性を選ぼうということになるわけです。

引用元:スポニチ

2021年2月3日に行われた、JOC臨時評議員会での森喜朗氏の発言です。

森喜朗の炎上問題発言集、内容翌日の2月4日に、発言を撤回する会見を行いましたが逆ギレする場面もありました。

2月11日には、東京五輪・パラリンピック組織委員会会長を辞職する意向を発表。

海外からも批判を浴び、時代遅れや老害などと言われる事態に追い込まれました。

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