三浦春馬さんの訃報を受けて、ご両親は悲しんでいることでしょう。
父親と母親はどのような方だったのでしょうか。
どんな家庭で育ったのか家族構成と、両親の現在をご紹介します。
三浦春馬の両親と家族構成
三浦春馬さんは、茨城県土浦市の出身です。
兄弟はいなく、一人っ子だそうです。
ご両親は、幼少期に離婚されているそうです。
離婚が原因かは不明ですが、小学校は2回転校したそうです。
母親に引き取られ、中学生の頃に再婚し新しい父親と仲良くしていました。
産みの父親の苗字が「三浦」だったようです。
小学校の同級生が、苗字は「三浦」だったと投稿していました。
そして、再婚相手の現在の父親の苗字が「笹本」だそうです。
「はなまるマーケット」に出演した際に、本名は「笹本」と言っていました。
三浦春馬の両親の職業は飲食店を経営
再婚相手と母親は、飲食店を営んでいるそうです。

- 父親:笹本賢一
- 母親:笹本真弓
2007年のお店を紹介する記事に、お名前と写真が掲載されいました。
お店は現在閉店されているようです。
茨城県土浦市で「キッチン&ダイニングバー SaSa」を営んでいました。
記事には、三浦春馬さんの母親と紹介されていて、オープンだったようです。
三浦春馬の両親の現在は?
ずいぶん前に、店は閉めたという情報がありました。
現在、ご両親はどうされているのでしょうか。
茨城県にあるかつて三浦春馬さんも一緒に暮らしていたという実家は、静まり返っているそうです。
2020年7月19日の「スポニチアネックス」が、近隣住民のインタビューを掲載しました。
「お母さんとおばあちゃんが3年ほど前に荷物をまとめて出て行くのを見ました。お父さんも年明けくらいに家を出たようです」
「お母さんとおばあちゃんがどこへ行ったかは知りません」
三浦春馬さん・母親・義理の父・祖母の4人で、約20年前に引っ越してきたそうです。
最近では、義理の父が月1回掃除に来ていたらしいです。
三浦春馬さんが都内に呼び寄せたか、母親が再び離婚などをしたのかはわかっていません。


三浦春馬の母親は役者を辞めるのを止めていた?
2020年7月20日のスポニチの記事に、母親と三浦春馬さんの関係性が書かれていました。
三浦春馬さんが芸能界に入るきっかけは、母親が地元の児童劇団入れたことからでした。
そして三浦春馬さんが上京した際も、母親は東京へ身の回りの世話をしに、通っていたそうです。
三浦春馬さんが19歳の時に、役者をやめたいと相談したことがあったそうです。
ちょうど「ブラッディ・マンデイ」の「Season2」の頃で、多忙でした。
その時は、母親が引き止めたそうなのです。
さらに、母親は映画「キャッチ ア ウェーブ」で、三浦春馬さんにサーフィンを教えて家族ぐるみで今でも親睦がある師匠へ、説得して欲しいと依頼したそうです。
師匠も、「もう一回だけ立ち上がってみたら」と背中を押したそうです。

それから数年後、三浦春馬さんが菅原小春さんと破局した頃(3年ほど前)、そしてちょうど家族が地元を離れた頃と同時期に、三浦春馬さんのお酒の量が増えたと知人が明かしています。

この頃、三浦春馬さんは母親と会っていて、何かを相談したようなのですが、それから悩んでいる様子だったと、親しい友人が答えていました。
母親を知る人の話では、お金に無頓着で息子に金銭面で頼っていたそうだと報じています。
もしかしたら、再婚相手の義理の父親と母親が離婚して、実家を離れ三浦春馬さんが経済的に支えていた可能性もありますね。
警察は、母親が何かしらの事情を知っている可能性があるとして話を聞くようだと掲載されていました。
三浦春馬の料理上手は母親直伝
飲食店を営むほどの、料理の腕前だった母親の真弓さん。
三浦春馬さんが高校生の時に上京した際は、料理のレシピもたせたそうです。
三浦春馬さんはインスタには手料理を掲載したり、料理関係のインタビューも対応するほど料理上手でした。
和食中心の栄養バランスの取れた、健康的なメニューを心がけていたそうです。
「リメイク料理」が得意で、余った麻婆豆腐を春巻きの皮で包んだりしていました。
三浦春馬さんは、両親について語ることはありませんでしたが、仲はよさそうです。


離婚した両親との確執
母親とは良好な関係を築いていたように思われましたが、実は絶縁していたそうです。
2020年7月22日の日刊ゲンダイが、母親と絶縁状態になった経緯を掲載しました。
三浦さんは、以前から母親に度々金銭を無心され、芸能界の仕事に嫌気がさしていたという。
母親は、かつて茨城県内の風俗店に勤務しており、三浦さんが中学校に上がるころにホストの男性と再婚。この男性の親族が持つ家に3人で暮らすようになった。
母親はその後、土浦でスナックなど飲食店を経営していたが、3年ほど前に男性と離婚。その後はすでにデビューして東京で暮らしていた三浦さんが購入した都内のマンションに住んでいたが、金銭的にルーズな母親を憂いてか、4年ほど前から酒を飲む量が格段に増えていたという。また最近は母とは絶縁状態だったようだ。
引用元;日刊ゲンダイ
母親の明かされていなかった過去の職業なども報じられていました。
さらに、このことがきっかけで三浦春馬さんが鬱状態へと陥り、実の父親と再会していたとニフティニュースが報じています。
死への願望は、約5年前、実母と絶縁した後、3年ほど前から目覚めたようで、その際には<当時は鬱状態から抜けられなかった。どう死のうかと考えていた>。2018年には、20年ぶりに母と別れていた実父と再会を果たすのだが、その際にはこうつづられている。
<自分は死のうと思っていた。でも、なぜか会ってみようと思った>
<母と離婚した理由を教えてくれた>
<実父との再会が人生を見つめ直し、自分と向き合うきっかけを教えてくれた>……。
記述からは、人知れず思い悩んでいた様子が見て取れ、それに彼の家族関係が関係していたことは推察できるのだが、決定的な“辞世の句”が記されているわけではなく、直接的な動機は不明のままだ。ワイドショー芸能デスクはこう語る。
「鬱状態でいろいろ孤独や葛藤を抱えていたようですが、それをひた隠しにして、直前まで収録をこなしていた中で、なぜ突然心が折れて死を選んでしまったのか。やはり何らかのきっかけがあったのではないか」
実の父親にも再会したり母親との関係性など、三浦春馬さんの中で両親の存在が、とても大きなものだったことが伺えます。