錦織圭の新コーチになったマックス ミルヌイ元選手とはどんな人物なのでしょうか?
マックス ミルヌイ氏の経歴とテニスの成績を調査。コーチに就任した理由などをご紹介します。
マックス・ミルヌイの経歴と成績
マックス・ミルヌイ氏はベラルーシの男子ダブルスの元世界1位王者です。
1977年7月6日生まれのミルヌイ氏がテニスしたきっかけは、6歳の時に父親がテニスを教えたのが始まりでした。
そして1994年にプロテニスプレーヤーとなり41歳まで約24年間プレーをした選手です。
愛用は「ビースト」で野獣と呼ばれていました。
なぜ野獣なのかというと身長が196cmと大柄なのと、プレースタイルが「恐れを知らない攻撃」が由来だそうです。
また当時、人気絶頂だった美女プレイヤーのクルニコワと対比されディズニー映画にちなんで「野獣」になったという説もあります。
出身スクールは?
1992年の14歳の時にアメリカのフロリダ州ブレイデントンにあるニック・ボロテリー・テニスアカデミー(IMGアカデミー)に留学しています。
錦織選手も同じスクール出身ですが、ミルヌイ氏の方が12歳年上ですので、被ってはいないようです。
ミルヌイ氏は2018年までダブルスの選手として活躍しています。
成績は?
24年間の現役生活の中で勝ち取ったタイトルの数がすごいです。
男子ダブルスで52個
男子シングルスで1個のタイトルを獲得。
2003年ダブルス世界ランキング1位を記録
シングルスでは最高世界18位。全米では2002年に8強。
男子ダブルス グランドスラムで6度の優勝
全仏オープンは4度優勝しています。

2011年と2012年はダニエル・ネスター(カナダ)氏とペアを組みんで連覇を達成しています。
長いキャリアの中でランキングを落とすシーズンもありましたが、何度も王座に返り咲く強さがありました。
2018年2月「ニューヨーク・オープン」優勝
2018年4月「ATP250 ヒューストン」で優勝
この時のペアはフィリップ・オズワルド(オーストリア)氏でした。
2018年10月「クレムリン・カップ」が最後の大会となり引退しました。
マックス・ミルヌイが錦織圭のコーチに就任した理由は?
ミルヌイ氏はネットプレーが武器でした。
錦織手はミルヌイ氏のサーブとネットプレーに近づきたいということでオファーをしたそうです。

錦織選手は右肘の怪我の手術をしたばかりでスポンジボールでのリハビリ中です。
この機会に肘に負担のかからないフォームや体の使い方を改良したいそうです。
そのためにもミルヌイ氏が指名されたそうです。
またダブルス選手ということでヒッティングパートナーとしても相性が良いと判断されたようです。
マックス・ミルヌイに憧れる選手がいる?
錦織圭選手の他にもミルヌイ氏に憧れを抱く選手がいます。
若干16歳でウィンブルドンのジュニア男子シングルで日本男子初の優勝を果たした望月慎太郎選手です。
望月選手は、錦織選手と同じIMGアカデミーで4年間のトレーニングを受けました。
その時に、錦織選手と一緒に練習した経験があります。
錦織選手、日本のジュニアNO1の望月選手と練習を開始しました!#全仏オープン #ローランギャロス #RG19 #錦織圭 #tennis #テニス pic.twitter.com/Cef0e76kpR
— バモス!わたなべ(エグいくらい滑る) (@watanabepreary) June 2, 2019
その才能を見込まれ錦織選手のヒッティングパートナーに指名された次世代期待の選手です。
その望月選手がダブルスを組んでみたい選手は?という質問に「マックス・ミルヌイ」と答えていました。
若い選手から見てもミルヌイ氏は魅力的で尊敬できる選手だったのですね。
マックス・ミルヌイの性格は?
ミルヌイ氏の性格の良さがわかるエピソードがあります。
ミルヌイ氏がプロ生活を終えた際のに、何十人にもの関係者の名前を一人一人挙げて御礼メッセージを送ったというのです。
その感謝の言葉が内面をとても表していました。
「物心ついたときからテニスは私の人生だったことを考えると、(引退は)とても難しい決断でした」
「こんなに長く試合を楽しむチャンスを持てたことに、間違いなく感激している」
「今後、私は自分の人生を歩み、新しい挑戦を受け入れる時だ。競技から離れて大いに恋しくなるだろうが、確実に近くで見守り続けるし、いちファンとして愛し続けるよ」
「ファンの皆さん、あなた方は私に、立ち上がって走り続ける強さとモチベーションを与えてくれた」
と関わった全ての人に感謝の思いを伝えて愛のある引退に多くの人が感動したそうです。
錦織選手のさらなる武器となり、良い刺激となるといいですね。