槇原敬之さんが覚醒剤所持の疑い2回目の逮捕となりました。
前回の逮捕から21年。
再犯までに何があったのでしょうか。1回目から2回目の逮捕歴をまとめてみました。
槇原敬之の逮捕歴まとめ:1回目の逮捕
槇原敬之さんは、1999年8月26日に覚せい剤所持で自宅にて現行犯逮捕されました。

当時、同棲していた男性”金ちゃん”(奥村秀一さん)も覚せい剤使用の疑いで、一緒に逮捕されています。

2人は交際と薬の使用を認めていました。
この逮捕により、売れっ子だった槇原敬之さんは、7億円もの借金を抱えてしまったのです。
【逮捕前にヒットした曲】
1991年:3thシングル | 「どんなときも。」 |
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1991年:4thシングル | 「冬がはじまるよ」 |
1992年:アルバム曲 | 「遠く遠く」 |
1992年:5thシングル | 「もう恋なんてしない」 |
1994年:12thシングル | 「SPY」 |
【逮捕の影響】
- 逮捕された年の9月からのコンサートツアーが中止
- レコード会社はCDは自主回収
- ラジオの番組終了
などにより7億円もの違約金や賠償金が発生したのです。

「どうお詫びしていいのか分からない」
と、槇原敬之さんはコメントを発表していました。
1回目の逮捕の判決は?
槇原敬之さんは懲役1年6ヶ月、執行猶予3年の判決を受けました。
判決後には、裁判官が槇原敬之に話しかけ個人的な話をしたいと言っていました。
「私は司法試験になかなか受からず気持ちがめげそうになったこともありました。しかし、それを励ましてくれたのは被告の歌です。
(中略)
是非立ち直って、また私たちに元気をください。」
この言葉に槇原敬之さんはハッとさせられ、「寛大な判決に感謝」したそうです。
判決後の活動は?復帰はいつしたの?
判決後は、しばらく芸能活動は自粛していました。
当時の自粛時のことを数年後、振り返ったインタビューがありました。
「そこで思い知ったんですよ、“身の程”みたいなものを。
でも、それがなかったら、勘違いしまくって“最低な人間”になっていたと思いますね」
売れっ子シンガーソングライターとなって、生活が一変した中で、昔の自分とは変わって行ってしまったのかもしれませんね。

活動自粛後の復帰は、2000年リリースのアルバム『太陽』でした。
発売の際の新聞広告では、
「あの時以来、僕に付いていたムダなものは全て落ちてしまいました。
そして、自分の心の中にある「大切なもの」を集めて、このアルバムをつくりました」
とメッセージに込めていました。

「ムダなものは全て落ちてしまった」とは
- 良いことを歌おうという気持ち
- 嬉しかったことを他の誰かにもしたいという気持ち
- 自分自身を洗濯した
という意味だったそうです。
そして、2003年SMAPに「世界に一つだけの花」を楽曲提供して、完全復活を果たしたのでした。
槇原敬之の逮捕歴まとめ:2回目の逮捕
2020年2月13日2回目の逮捕
- 2018年4月に港区のマンションで、覚醒剤およそ0.083グラムを所持していた疑い
- 2018年3月にも、危険ドラッグの「RUSH」を所持していた疑い
この容疑により午後4時44分、渋谷区神宮前の自宅マンションで逮捕されました。
認否は不明で、今後本格的な取り調べが行われるそうです。
身柄は東京湾岸警察署に移送され、翌朝送検されました。
元自宅からは覚せい剤を使用する際のガラスパイプが押収されました。
2020年2月14日のサンスポでは、元パートナーとの関係が断ち切れてなかったことが、2回目の逮捕に繋がったのでは?と報じています。
https://kansyaorei.xyz/makiharanoriyuki-2y/
金ちゃん(奥村秀一)は2018年に、再び覚せい剤取締法で逮捕されています。
この時、破局していたと思われていた2人が同棲を再開していた可能性が浮上。
金ちゃん(奥村秀一)が「薬はマッキーのものです」と供述したのでした。
そこから、2年間マークされていたそうです。
槇原敬之の接触事故も薬の影響?
2018年4月30日午前10時頃に槇原敬之さんが運転する車が東京都の港区でバスと接触事故を起こしました。
場所は、東京都港区白金台の都道でした。
路上にめていた車を発進させた時に、隣車線の後方から来た都営バスの側面と接触したのです。
バスの乗客客と槇原敬之さんにケガはありませんでした。
「色々とお騒がせしました」
「縦列駐車、気を付けないとですね」
2018年5月1日の槇原敬之Twitterより
もし、この頃から再び薬をやっていたのなら、注意力が低下していたのかもしれませんね。