ニュースキャスターから政治家、女性初の東京都知事となった小池百合子さん。
その行動力は、父親譲りだったそうです。
小池百合子さんの父親の職業は、会社経営者でもあり実業家でもありました。
そんな実家で育った小池百合子さんの父親について調べてみました。
小池百合子の父親はどんな人?
小池百合子さんの父親の小池勇二郎(こいけゆうじろう)さん。
どんな父親だったのでしょうか?
小池百合子の父親・小池勇二郎の経歴
とても、温厚そうな笑顔ですが、とてもやり手な実業家だったそうです。
- 元海軍中尉
- 満州国国有鉄道経理部に在籍
- 第二次世界大戦終戦を体験
- 闇市で抗生物質のペニシリン販売を販売していたらしい
- 闇市で得た資金を元に、石油会社を4つ経営
- 医療関係の貿易会社を経営
- 1969年、第32回衆議院議員総選挙に出馬し落選
- 貿易会社の倒産
- エジプトカイロで日本料理屋「なにわ」を経営
- 関西経済同友会の幹事に就任
- 全国中小貿易連盟の理事に就任
石油会社に、貿易会社など一代で財を成した敏腕経営者です。
常に世界へ目を向けていた、先見の目があったようですね。
小池百合子の父親・小池勇二郎の性格
父親の勇二郎さんは、貿易会社の仕事で世界中を飛び回っていたそうです。
出張先のオランダから帰ると
「あの国はすごいよ。海抜より低いところでも暮らすための国家戦略がある」
など、小学生の小池百合子さんに話していたそうです。
元々、政治に興味のある人で、「国家がどうあるべきか」という話をするのが日常でした。
自分や家族にことは後回しにして、人助けになる事を優先して尽くす人だったそうです。
「日本はこうするべきだ」と子供達に熱く語る父親だったのです。
小池百合子の父親は留学についてきた
父親の勇二郎さんは、時代を先どる能力に長けていたました。
「国家の基本はエネルギーだ。日本は石油禁輸から戦争や南進に踏み切った。アラブ産油国とのつながりは重要だ」
と話していたそうです。
そんな話を、幼少期から聞かされ続けた小池百合子さん。
ある日、新聞で「国際連合の公用語にアラビア語が加わる」という記事を目にして閃いたそうです。
「アラビア語の通訳になろう!」
そう決意して、エジプトに留学したいと父親に伝えたそうです。
すると、あっさり許してくれたそうです。
仕事柄、エジプト政府と繋がりがあった父親の勇二郎さん。
貿易会社は、選挙後に倒産してしまったそうですが、バイタリティは健在。
エジプトで日本料理屋「なにわ」を営み留学をそばで見守っていたというのです。
ところが、留学先で小池百合子さんが親の反対を押し切り学生結婚をしてしまうのでした。

可愛がっていた娘の思ってもいない展開に、さぞ驚いたでしょうね。
小池百合子の実家は金持ちから転落
小池百合子さんの実家は、神戸の芦屋にありました。
芦屋といえば、セレブたちが住む高級住宅街です。
小池百合子さんが高校生の時に、父親が選挙に出馬し落選。
政治活動に没頭していたため、会社の業績が悪化し、落選と共に多くの人が去って行ったそうです。
そして、貿易会社が倒産し債権者が押し寄せたそうです。
一家は芦屋の邸宅を追われ、セレブから一点地獄の生活が始まったそうです。
芦屋の邸宅を売り払い、資金繰りをしたのです。
支援をしてくれる人たちの手を借りて東京都の六本木に家族で引っ越したそうです。
東京都いっても、一家が住んだのは、アパートでした。
神戸にはいられない。日本にはいられない。
そんな気持ちも後押しして、エジプトで再起を測ったとも言われています。
見事、父親の果たせなかった政治家の道を歩んだ小池百合子さん。
父親の小池勇二郎さんは、2013年5月24日享年90歳の大往生でした。