ポスト安倍・次期総理大臣候補に名を連ねる岸田文雄政調会長。
サラブレッドが多い政界ですが、どんな学歴をお持ちなのでしょうか?
今回は、岸田文雄政調会長の学歴について出身中学・高校・大学につてい調べてみました。
岸田文雄の学歴まとめ&生い立ち

学歴
岸田文雄政調会長の小学校から大学までをご紹介します。
- 1963年:小学1年〜3年生までニューヨークで過ごす
- 帰国後小学3年生の時に千代田区立永田小学校へ転入
- 1969年:千代田区立麹町中学校入学
- 1972年:開成高等学校入学
- 1982年:早稲田大学法学部 卒業
幼少期は、ニューヨークで生活していたのですね。
どんなご家庭で育ったのでしょうか?

生い立ち・プロフィール
東京都出身の岸田文雄氏。
父親の岸田文武さんは通産官僚でした。
母親の岸田澄子さんは、元日東製粉社長令嬢というセレブな両親の元に生まれています。
妹は、財務省理財局長の可部哲生さんと結婚している政治家一家です。
叔母の玲子さんが、元総理大臣の宮沢喜一さんの弟と結婚していたり、政財界とゆかりのある家系です。
岸田文雄の学歴まとめ:ニューヨーク&千代田区立永田小学校
ニューヨークでの生活はどんなだった?
父親の仕事の都合で、日本の小学校1年から3年生に当たる期間を、ニューヨークで過ごしました。
現地の公立学校、パブリックスクールに通っています。
色んな人種の生徒がいて、人種差別を目の当たりにしたそうです。
アメリカの小学校1年生は、日本では小学校に入る前の学年(5歳)です。
渡米してすぐの小学1年生の時に、ケネディ大統領の暗殺事件があり、テレビのニュースで連日見ていたことが思い出だそうです。
そして、翌年の1964年はニューヨークから東京オリンピックを衛星放送で見たそうです。
英語力はどのくらい?
日本でいうと小学校に入学する年の前の年の秋ぐらいに。ニューヨークに行って、むこうのパブリックスクールに放り込まれた。まあそういったことですれけども、まったく言葉も通じないし、生活も違うし。そんなところに放り込まれた。
引用元:https://logmi.jp/
英語が話せない状態で、一生懸命溶け込もうと努力したと話していました。
そこで、さぞ英語力を身につけたと思ったのですが、あまり英語は得意ではないという情報もあります。
国際的なスピーチの時も、日本語で話していました。
小学3年生までしか、ニューヨークにはいなかったので、子供の日常会話程度を習得して帰国してしまったようですね。
千代田区立永田小学校
3年生の時に帰国してきました。
現在は閉校している小学校ですが、自民党本部前にありました。
嫌でも、政治を意識する生活ですよね。
アメリカで肌で感じた差別などに対して、子供ながらにずっと「おかしいな」と思っていたそうです。
政治家になる原点は小学校時代にあると話していました。
岸田文雄の学歴まとめ:千代田区立麹町中学校
千代田区立麹町中学校は公立の学校ですが、エリート中学として有名です。
都立進学校の四谷高校への進学率が高いことで、人気です。
- 貫地谷しほり(女優)
- 角野卓造(俳優)
- 露木茂(アナウンサー)
部活動は、軟式テニス部に所属していました。
この頃の性格は、自分の好きなことは一生懸命やって、関心がないことは手を抜くような少年だったそうです。
音楽や芸術に興味を持ち始めて、政治家になっていなければ、絵描きや音楽家になりたかったそうです。
意外と、ロマンチストな性格が内側にはあるそうです。
岸田文雄の学歴まとめ:開成高等学校
岸田文雄政調会長は、偏差値78の超難関高校の開成高校へ進学しました。
東京都荒川区にある中高一貫の男子校ですが、高校受験でした。
東京大学への合格率が1番高い進学校です。
- 岩瀬大輔(ライフネット生命保険創業者)
- 渡邉恒雄(読売新聞グループ本社代表取締役会長)
- 島崎藤村(小説家)
- 蜷川幸雄(演出家)
- 伊沢拓司(東大王)
- 水上颯(東大王)
読書が好きで、特に小説はよく読んでいたそうです。
【好きな小説家】
- 夏目漱石
- ドストエフスキー
- 吉川英治
- 司馬遼太郎
- 庄司薫
幅広いジャンルを読むようにしていたそうです。
文系で勉強漬けなのかと思いきや、野球部に所属していたそうです。
しかし、強豪校ではなかったのでそれなりになっていたらしいです。
ポジションは、ショートかセカンドでした。
広島カープのファンで、始球式をしたこともあります。
岸田文雄の学歴まとめ:早稲田大学
大学は1年浪人をして、早稲田大学法学部へ進学しました。
偏差値68
第一志望は東大だったそうですが、叶わず早稲田にしたそうです。
小学校の頃から、なんとなく意識してきた政治家への興味が大学で強くなってきたそうです。
しかし勉強はそこそこで、友人と国内旅行に行ったり割と遊んでいたらしです。
交友関係が広く、友人が多いそうですよ。
政治家以外にも職業はあるだろう、という気持ちもあったと話していました。
そこで、まずは卒業後の進路をサラリーマンになることを選択したそうです。
それでも就職先は、狭き門の「日本長期信用銀行」現在の新生銀行に入行したのです。
5年間働き、30歳の時に父親の秘書として政治の世界へと進みました。

ちなみに、1993年の衆議院議員に初当選し、この時安倍晋三総理も初当選しています。
2人は同期ということですね。