ロックバンド「Alexandros」の川上洋平さんは、俳優としても活躍していますね。
バンドマンになる前は、電通に就職をしていた経歴もあるとか…
父親の仕事でシリアに住んでいた時代もある、帰国子女です。
今回は川上洋平さんの、生い立ちや経歴、実家などについてまとめました。
川上洋平の経歴と生い立ちまとめ
川上洋平さんは、1982年6月22日生まれの38歳です(2021年3月時点)
川上洋平の実家はどこ?
神奈川県川崎市多摩区生田で生まれ、幼稚園まで川崎市で暮らしていました。
9歳~14歳までシリアで暮らしており帰国してからは、神奈川県の相模原市に住んでいました。
その為、実家は相模原市にあると言われています。
シリア時代
シリアでは、インターナショナルスクールに通っていたそうです。
中東なまりのある、英語を話すことができます。
娯楽があまりない国だったそうで、日本の実家に残った姉と兄からバラエティ番組を録画したビデオや、ミスチルのCDなどを送ってもらっていたそうです。
現地の食事が合わず、よく泣いていたらしいです。
一番怖かった出来事は、友達と喧嘩をしたら殺されそうになった事だったそうです。
リビアという国はちょっと特殊だなぁと思う。
昔リビア人の友達がいたんだけど、そいつと一回喧嘩した事があって。で、結構悪口言い合ってたら「お前んとこ潰す」って言われて。で、意味わかんねーとか思ってたら後日俺のマンションになんか黒服のSPみたいなやつがいて。ヤバイ空気なんだけどシリアではまぁある事なのでスルーしようとしたら「君◯◯の事いじめたかい?」って話しかけられてさ。
まぁ超否定したよ。
殺される、って直感したんだよね子供ながら笑後から聞いた話だとその子んちはおそらく政府関係で、、って事で。あれは結構焦ったな。
そいつだけかもしれないけど。でも口喧嘩だけで良かったよ。手が出る方だったら確実に夜空の星になってただろう。引用元:川上洋平オフィシャルブログ
シリア在住中の小学5年生の授業で、クラシックギターを習ったのが最初だそうです。
小学6年生の時には、「Champagne」というバンドを結成しています。
中学生の時には、日本の大学からの留学生が週1回、日本語の補習をしてくれました。
その留学生の1人が、ギターやロックに詳しくて、たくさん教わったそうです。
帰国後
高校生になるタイミングで、日本へ帰国しました。
相模原市の神奈川県立弥栄東高校に通ったそうです。
そして、メンバーの白井眞輝さん(ギター)と庄村聡泰さん(ドラムス)も同じ高校の出身です。
庄村さんは、川上さんと白井さんの1つ後輩です。
軽音部で3人は、運命の出会いをしたのでした。
川上洋平さんは、頭も良く早稲田大学社会科学部に合格しました。
しかし、多くのミュージシャンを輩出していた青山学院大学に進学して、バンドデビューを目指したのです。
イジメ体験
シリアから帰国した後は、クラスメイトからのイジメが待っていたそうです。
英語も話せて、将来はバンドでデビューすると公言してしまうほど、意思がはっきりしていたのでした。
周囲の生徒よりも、大人だったのでしょうね。
無視をされて、孤立してしまったそうです。
川上洋平の就職先は電通?
川上洋平さんは、大学在学中にバンドデビューを目指しましたが、叶いませんでした。
そして、両親には就職をすると言ってごかましていたのですが、バンドを諦めきれずにいたのです。
しかし、バンドを続ける為にも、一旦就職をする選択をするのでした。
Alexandrosの前身となる(旧Champagne)というバンドをやりながら、バイトをしていた広告代理店に、そのまま就職したのです。
俺は、正式なインターンシップっていう訳でもないんですけど、ある某広告代理店さんでバイトしてました。
そこで“僕、来年就活するんですけど、ぜひここに入りたいと思っています!”みたいな事をアピールしましたね。
引用元:https://news.livedoor.com/
この、某広告代理店が、電通ではないかという噂になったのです。
はっきりとはしていませんが、電通かその子会社、関連会社ではないかと言われてます。
川上洋平の父親の仕事は?
川上洋平さんが、幼少期にシリアで生活していたのは、父親の仕事の関係でした。
川上洋平さんの父親は、商社マン(現在は引退)で、海外を飛び回っていたそうです。
就職して数年で、会社を辞めて音楽の道に進んだ、息子をしばらく許せなかったそうです。