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河井ゆずるの生い立ちまとめ!弟の学費を稼ぐ為やっていたアルバイトとは?

河合ゆずる 生い立ち 弟

アインシュタインの河井ゆずるさんは、とても貧乏な幼少期を過ごしていました。

大阪出身で大阪南高校へ通いながらバイトを複数していたそうです。

大学には進学せずに弟の学費とNSCの入学金を稼いだ努力家でした。

生い立ちとコンビ結成までや家族構成、どんなアルバイトをしていたのかも調査しました。

河井ゆずるの貧乏な生い立ちと出身校

アインシュタインの河井ゆずるさんは、父、母、弟の4人家族でした。

別居している母方の祖父、祖母とも交流がありました。

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中学生くらいまでは、人並みな生活を送っていたそうです。

しかしバブルの崩壊と共に生活が一変してしまったのです。

河井ゆずるの幼少期・父親の蒸発

河井ゆずるさんが3歳の時に父親が蒸発してしまいました。

買い物に行ってくると言い残し、そのまま帰ってこなかったそうです。

その後30年間一度も会っていなかったのです。

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当時、父親は水商売系の仕事をしており、母親はスナックのママをしていたそうです。

蒸発の原因は、父親の女性関係に怒った母親が追い出してしまい、離婚してしまったのです。

1980年11月28日生まれで2019年現在39歳の河井ゆずるさんが35歳の時に、父親と再開を果たしています。


河井ゆずるの小学生時代

河井ゆずるさんと2歳年下の弟は母親に女手一つで育てられました。

母親は、スナックの仕事を辞め、大阪の心斎橋に喫茶店を営むことにしたのです。

この頃はマンションに住み、野球が好きな少年時代だったそうです。

喫茶店は、朝の7時から夜の7時まで営業でした。

コーヒーも安く20席という少ない店舗のため、利益はほとんど出なかったそうです。

ギリギリの生活を送っていることを、幼な心に感じていた河井ゆずるさん。

プロ野球選手を夢見ていましたが、大好きな野球はお金がかかると感じていたそうです。

小学3年生で野球は辞めてしまったのでした。

しかし、野球と同じくらい好きなものが「お笑い」だったのです。

「お笑い」はお金がかからないと思い、芸人を目指すことにしたそうです。

河井ゆずるの中学生時代

河井ゆずるさんの出身中学は公表されていませんが大阪だと思います。

中学時代は陸上部に所属していました。

野球部・サッカー部・バスケットボール部がなかった、という理由で陸上にしたそうです。

中でも楽そうだからという理由で「砲丸投げ」を選んだそうです。

大会では、2人しか出場しなかったので「砲丸投げ」で2位になりました。

河井ゆずるの高校生時代

河井ゆずるさんは、大阪市立南高校に進学しました。

偏差値は国語科が52で英語科が59です。

河井ゆずるさんは、特技を英語としているので英語科だったのかも知れませんね。

高校では部活はやらず、アルバイトをして家にお金を入れていたそうです。

高校2年生の頃には、バルブの崩壊の影響もあり、母親の喫茶店の経営は火の車だったのです。

高校のお金も払えない程苦しい状況だったそうです。

母親は喫茶店を閉め、一発逆転を狙ってパチンコにハマってしまったのです。

17歳の時に、母親がマンションの管理人の仕事を始めます。

理由は、ビルの屋上の清掃道具等の小屋に住んでも良いという条件だったのです。

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一家は、ビルの屋上のプレハブ小屋に移り住みました。

屋根が飛ばされたり、タオル一枚でお風呂に向かったりと苦労のある生活でした。

しかし、河井ゆずるさんは無事に高校を卒業したのです。

河井ゆずるが大学へ進学しなかったワケ

河井ゆずるさんは大学へは進学しなかったそうです。

大学へ行く学力はあったのですが、学費などこれ以上、母親に負担をかけたくなかったそうです。

そして、弟の大学の学費を稼いであげたいという気持ちが強かったのです。

大学よりもアルバイト生活を選んだのでした。

色々なアルバイトを掛け持ちして弟の学費を稼ぎ出したのです。

家族思いな性格ですね。

河井ゆずるのアルバイトの種類

色々なアルバイトを掛け持ちしていたという河井ゆずるさん。

どんなバイトをしていたのかまとめました。

  • マンションの水漏れ修理
  • 鍵の交換
  • ショットバー
  • 味噌屋

味噌屋は、お歳暮などに贈るような、2万、3万する高級味噌だったそうです。

朝から1日中大きな味噌樽から小さい樽に移し替えるだけの作業を永遠やっていたそうです。

ショットバーは芸人になってもしばらく続けていた一番長くやったバイトです。

河井ゆずるさんがいかないと店が開けられないほど重要な人材だったようです。

河井ゆずるさんが休みの日は店もオープンしなかったそうです。

お笑いライブをした日の夜も出勤して、家に仕送りしていたのでした。

河井ゆずるがアインシュタインになるまで

NSCに入ることを決めていた河井ゆずるさん。

入学金を稼ぐために、短期のバイトを始めました。

そして、そのバイト先で出会ったのが最初にコンビを組んだ、「山名文和」さんでした。

河合ゆずる 生い立ち 弟

2003年にNSCに2人で入り「河合山名」というコンビで活動を始めました。

同期には「和牛」「藤崎マーケット」「かまいたち」がいます。

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2008年にコンビを解散して、河井ゆずるさんはピン芸人になりました。

そして2010年に稲田直樹さんを口説き落とし「アインシュタイン」を結成したのです。

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河井ゆずるの弟は?

河井ゆずるさんの弟は兄が稼いでくれた学費で無事に大学を卒業されました。

そして、鉄板焼き屋で修行をして、2014年に大阪市北区天神橋に「the PASTA&GRILL’S イタリアン 肉バル 天満店」をオープンさせシェフをしています。

シェフの名前が河合幹となっていますので、弟さんのお名前は「幹」さんというのですね。


とても家族思いの優しいお兄さんですよね。

芸人になって、家族を楽にさせてあげたいと子供の頃からの夢を、叶えた有言実行なところが、顔だけでなく男前ですよね。

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