加藤勝信氏は、元農林水産大臣だった加藤六月氏の娘婿です。
お見合い結婚だったのですが、なんと初めは嫁の姉を紹介されケンカで破談して妹と結婚するという経緯がありました。
子供は4人いるのですが、全員娘の女系家族です。
嫁の家系は政治家一家という、加藤勝信氏の家系図をご紹介します。
加藤勝信の家系図
加藤勝信氏は、東京都出身です。
父親の室崎勝聰氏は、日野自動車工業社員でのちに取締役副社長へ就任しています。
加藤勝信氏は、東京大学経済学部を卒業後の1979年に大蔵省へ入省しました。
1994年4月より農林水産大臣秘書官となり、当時農水大臣だった加藤六月氏に気に入られ娘婿となりました。
加藤六月氏の次女・周子さんと結婚し、4人の娘がいます。
加藤勝信の義理の父:加藤六月
加藤六月(かとう むつき)
大正15年6月17日生まれ。
岡山県笠岡市出身。
1967年に自由民主党公認で旧岡山2区から出馬し衆議院議員初当選。
以後の経歴はこちらです。
- 1982年:国務大臣 国土庁長官・北海道開発庁長官(中曽根内閣)
- 1983年12月:自民党税制調査会会長(3期連続)
- 1986年7月:農林水産大臣(第3次中曽根内閣)
- 1990年2月:自民党政務調査会会長(2期連続)
- 1993年7月:自民党離党 細川政権の擁立に参画
- 1994年4月:新生党入党
- 1994年6月:農林水産大臣(羽田内閣)
元プロ野球選手の、星野仙一さんとは公私にわたり親交があったそうです。
加藤勝信の義理の姉:加藤康子
加藤六月の長女、加藤康子さん。
加藤六月氏が、「娘の夫は官僚が良い」という思いから加藤勝信氏とお見合いをさせて婚約しました。
しかし、加藤康子さんと加藤勝信氏がケンカをして婚約を解消しています。
「意気盛んな大蔵官僚だった勝信君が『この国を動かしているのは官僚だ』と言ったらしい。康子ちゃんも父親思いで勝ち気な性格だから、『何を言ってるの。お父さんたち政治家が国を動かしているのよ』と言い返して衝突してしまった。その後に婚約解消となり、あの時は六月先生も困っていた
(中略)
康子さんに確認すると「話としては面白いですが、記憶にありません」と回答した。
引用元:週刊ポスト
加藤康子さんは、慶應義塾大学文学部国文科を卒業しています。
国際会議通訳、CBSニュース調査員として働き、1989年にはハーバード大学ケネディスクール政治行政大学院修士課程修了した才女です。
- 加藤康子(かとう・こうこ)
- 都市経済評論家
- 内閣官房参与(2015年7月2日〜2019年7月31日)
- 一般財団法人産業遺産国民会議専務理事
- 「九州・山口の近代化産業遺産群」世界遺産登録推進協議会 コーディネーター
- 経済産業省サービス産業小委員会審議委員
- 産業遺産活用委員会審議委員を歴任
- 著書『産業遺産』(日本経済新聞社)
加藤勝信氏との婚約破棄の時期が不明ですが、1989年にトランスパシフィック・エデュケーション・ネットワーク㈱を共同で起業した友人男性と結婚しています。
その男性との間には、一男一女の子供がいますが離婚されています。
加藤勝信氏は、康子さんと結婚しなかったのですが、代わりに妹の周子さんを紹介され婿養子となっています。
加藤勝信の親族:加藤武徳
加藤勝信の義理の父親・加藤六月氏の兄である加藤武徳氏も政治家です。
岡山県笠岡市出身で中央大学法学部を卒業し、内務省へ入省しました。
1950年に参議院議員選挙に岡山県選挙区から自由党公認で出馬し、35歳で初当選しました。
1964年に岡山県知事に就任。
知事在任中の出来事として、1972年に山陽新幹線岡山駅開業の際に、テープカットを行っています。
知事退任後には、再び参議院議員となり福田改造内閣の自治大臣兼国家公安委員会委員長兼北海道開発庁長官を務めました。
1992年は次男の加藤紀文氏に譲り政界を引退。
引退後は、司法修習を受けて弁護士に転身しています。
2000年2月9日に84歳で死去。
加藤勝信の親族:加藤紀文
加藤勝信氏の義理のいとこにあたる、加藤紀文氏。
叔父の加藤武徳氏の次男です。
1971年に中央大学商学部卒業後、父親の加藤武徳岡山県知事の政務秘書になります。
父親が参議院議員になると、公設第一秘書・自治大臣秘書官としてサポートしていました。
父親の政界引退後は、1992年に第16回参議院議員通常選挙で、岡山県選挙区へ自由民主党公認で出馬し初当選しています。
- 1995年8月:通産政務次官
- 1997年9月:科学技術政務次官
- 2001年1月:参院経済産業委員会初代委員長
- 2002年10月:総務副大臣
2020年5月18日71歳で死去。





