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岩田健太郎医師の経歴と学歴がすごい!神戸大学での仕事や出身高校を調べてみた

新型コロナウイルスによる、クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス号」内の感染対策について、告発動画を公開した岩田健太郎医師。

告発内容ややり方に批判など賛否の声が上がっていますが、動画が削除された現在も話題になっています。

岩田健太郎医師とは、どんな人物なのでしょうか?

経歴や学歴、神戸大学での仕事や活動をまとめてみました。

岩田健太郎医師の学歴がすごい

島根県出身の岩田健太郎医師。

1971年生まれの49歳です(2020年現在)

【学歴】

出身高校は、

島根県松江市立松江南高等学校

松江南高校は進学校で有名です。

偏差値は53〜61

大学は、

島根医科大学医学部医学科

医学部の偏差値は70

高校も大学も偏差値が高いですね。

どのような性格の学生だったのでしょうか?

ご自身の高校時代を振り返ったインタビューがありましたのでご紹介します。

題:私(岩田健太郎さん)は島根県松江市に3つある進学校の1つに通っていた

私は島根県松江市に3つある進学校の1つに通っていたのですが、あの頃はまさに受験戦争と呼べるほど偏差値至上主義で、「今回の模試の平均点は市内の他校より良かった」「今回は他校より悪かった」とやっているのを見て、僕ははっきり言って「くだらないな、バカじゃないかこの人たちは」とずっと思っていました。

「人口10万人程度の田舎町で平均点を競い合って何になるのか」と。その頃から細かいことを気にすることが卑しいことであるかのように思っていました。そういう細かな違いを執拗に気にする人は、怒りや劣等感、劣等感の裏返しの優越感などを内包させていることが多い。

この種の卑しさはさまざまな場所にあふれていて、医療界でもありとあらゆる場面にあって、出身大学の偏差値、開業医と勤務医、博士号の有無など、そういうどうでもいいことで「ああだこうだ」と言っているんです。

分断より融合、威張るより謙虚に-岩田健太郎・神戸大学感染治療学分野教授に聞く◆Vol.2
物分かりの悪い患者を診る医師になる

2013年1月29日 聞き手・まとめ:島田 昇

少し、周囲とは違う「我が道を行く」というタイプだったようですね。

岩田健太郎医師の経歴がすごい

岩田健太郎医師の大学卒業後の仕事や活動の経歴をご紹介します。

  • 1997年 島根医科大医学部医学科卒業
  • 1997年 沖縄県立中部病院(研修医)
  • 1998年 ニューヨーク市コロンビア大学セントルークス・ルーズベルト病院(研修医)
  • 2001年 ニューヨーク市ベスイスラエル病院感染症フェロー
  • 2002年 ロンドン大学熱帯医学衛生学修士課程入学
  • 2003年 北京インターナショナルSOSクリニック家庭医
  • 2004年 亀田総合病院感染症内科部長、総合診療感染症科部長
  • 2008年神戸大学大学院医学研究科教授(微生物感染症学講座感染治療学分野)、神戸大学医学部附属病院感染症内科診療科長(現在に至る)

中国の「SARS」、アフリカの「エボラ出血熱」なども、現場で感染症予防のチームとして組織体制などに従事しています。

もともとは、研究の方に進もうと思っていたそうです。

しかし、巡り合わせで「感染症科」を選んだと語っていました。

今に至る経緯と、感染症との出会い

大学生時代は基礎医学者になりたくて、解剖学や微生物学の教室にもよく出入りしていました。

そんな5年生の頃に笹川平和財団主催の「フィリピンで国際保健を学ぶ」というツアーに参加し、国際保健や貧困地域の医療・感染症対策に触れる機会がありました。

(中略)

卒後は、研究の道に進むために1~2年で手っ取り早く臨床を学ぼうと考え、当時は研修病院として日本一厳しいと言われていた沖縄県立中部病院で研修を受けました。

もちろん、実際に1~2年勉強したくらいでモノになるはずもなく、そのまま臨床を続けることになったのですが(笑)。

この中部病院には当時では珍しく感染症科があり、優れた医療を行っていて、ここで感染症の臨床の基本を叩きこまれました。

その後アメリカに留学する機会があり、アメリカで感染症医療のトレーニングを受けました。

アメリカや中国で感染症科医として働いた後日本に戻り、今は大学で感染症科の教授をやっています。

(中略)

感染症科を選んだのは巡りあわせもありましたが、もともと思っていた「世界に通用する人間」という観点にはフィットしたものでした。

なぜなら、田舎でも都会でも、西洋でも東洋でも、感染症が存在しない所はありません。僕は診療所から大規模病院までいろいろな所で仕事をしましたが、どこに行っても役立つことができたという自負があります。

感染症科は非常にユニバーサルな仕事だなと感じます。

引用元:ドクタラーゼ

当時は、医局に入るのが当然の時代だったそうです。

同期で医局に入らなかったのは、岩田健太郎医師を含めて2人だけで、異端児だったようです。

感染症の専門家として情報を発信するなど、信念を持って活動されているようです。