石破茂氏はどのような生い立ちがあるのでしょうか?
父親も政治家で、母親と2人の姉は教師という家族構成で育っています。
今回は、石破茂氏の家系図と生い立ちや家族についてご紹介します。
石破茂の家系図
石破茂氏は、代々続く政治家一家ではありません。
政治家になったのは、父親の友人だった田中角栄氏の影響でした。
石破茂の生い立ちと家族構成
石破茂氏は1957年2月4日に東京の病院で生まれました。
しかし父親が鳥取県知事になったことで、鳥取県八頭郡八頭町で過ごします。
中学校卒業まで地元鳥取で過ごしました。
石破茂の父親
父親の石破二朗氏は、東京帝国大学出身で、建設事務次官、鳥取県知事、参議院議員、自治大臣の経歴を持っています。
石破二朗氏が48歳の時の子供だったため、石破茂氏が生まれた病院に息子を見にいくのが恥ずかしいと、あまり見舞いに行かなかったそうです。
代わりに秘書が様子を見に行ったことで、秘書の子供ではないかと勘違いされたそうです。
石破二朗氏は、田中角栄氏と友人関係でした。
1981年に石破二朗氏が亡くなった際に、田中角栄氏が石破茂氏に「おまえが出ろ」と勧められて政界入りしたのです。
石破茂の母親
石破茂の母親は、国語の教師をされていました。
教育熱心で石破茂氏が小学生の頃は、「偉人伝」の朗読を毎晩1時間させられていそうです。
その甲斐あってか、石破茂氏は慶應大学へ進学することができました。
石破茂の姉
石破茂氏には、姉が2人がいて末っ子として育ちました。
姉とは歳が離れているようで、小学校の思い出話の中で大学生だった姉がと話しています。
姉2人の年齢や名前などは、公表されていませんがインタビューで職業について触れていました。
子供の頃の宿題についての質問で、読書感想文を書いた時のエピソードです。
夏休みで帰省していた当時大学生だった姉に「こんなものは読書感想文ではない!」と叱られて泣きそうになったものでした(ちなみに我が家の女性たちは皆教員資格を持っており、実際母は国語、上の姉は英語、下の姉は歴史の教師でした)。
引用元:石破茂オフィシャルブログ
母親と同じく、2人の姉も教師になられたそうです。
- 母親…国語の教師
- 上の姉…英語の教師
- 下の姉…歴史の教師
上の姉と結婚した義理の兄も、教育者だそうです。





