サーフィン界で活躍し、東京オリンピックでも注目されている五十嵐カノアさん。
五十嵐カノアさんをトップサーファーへと育てた、父親と母親について気になる方も多いと思います。
今回は両親の職業や、五十嵐カノアさんとのエピソードについてご紹介します。
五十嵐カノアの父親はどんな人?
父親の学生時代
五十嵐カノアさんの父親の名前は五十嵐勉(いがらし・つとむ)さんといいます。
東京都出身の元プロサーファーでした。
1964年生まれなので、2021年現在、57歳です。
小学生の頃は、スケートボードがメインだったようで、中学2年生の頃に全日本選手権に挑戦したようです。
なんと、フリースタイル部門で優勝したそうです!
最初からサーフィン一筋だったわけではなく、スポーツセンスのある父親だったことがわかりますね。
そしてこの試合のあとに借りたボードを使い、サーフィンをやったことが始まりだったそうです。
中学3年生からは徐々にサーフィンにのめり込んでいったとのこと。
高校卒業後にはスポーツトレーナー専門学校に通い、並行してプロサーファーの実力をつけていたようです。
かつて、サーフィンはレジャーとしてのみ楽しまれていましたが、今は正式なスポーツとして認められています。
勉さんは「いつかサーフィンは正式な競技になる」と信じてトレーサビリティの勉強やサーフィンを続けていたそうです。
子供ができたら海外に移住して、本格的にサーフィンをやらせたいという夢があったそうです。
父親の職業は会社社長
1993年にカリフォルニアに移住し、スポーツトレーナーの会社を設立しています。
つまり今は社長ということになりますね!
2018年には、サーフカジュアルメーカーのフリーダムプラスと協業し、洋服(Tシャツなどの)制作をしているようです。
フリーダムプラスの社長である佐野さんも、勉さんとサーフィン業界を盛り上げていきたい!と言っているそうです。
互いにサーフィンへの情熱があるからこそ、ここまでやってきているのかもしれません。
また、勉さんは若い頃から写真やポップアートにも興味があったようで、2019年には自らがデザインしたTシャツが販売されています。
サーフィンのために移住し、環境を整える大胆さが本当にすごいです。
五十嵐カノアさんがサーフィンの実力を、ここまでつけてきたことにも頷ける父親です。
五十嵐カノアの母親はどんな人?
母親の海外での子育て
母親も元プロサーファーだったようで、アメリカへ移住した2年後に五十嵐カノアさんを授かったそうです。
父親の勉さんと同じく、子供にサーフィンをやらせたいという強い思いがあったようで、移住にも賛成していたとのこと。
五十嵐カノアさんには、「サーフィンだけが出来ればいいのではなく、頭脳も実力も必要だ」という方針で教育をしていたようです。
実際、五十嵐カノアさんは15歳の時に2年飛び級をして、15歳で高校を卒業してしまったそうです!
また、五十嵐カノアさんは英語はもちろん、日本語、フランス語、ポルトガル語、スペイン語の計5カ国後が話せるそうです。
スポーツ選手は海外への遠征も多いので、語学力についてもサーフィンに役立つように鍛えられていますね。
サーフィンの環境を整える為に、ご飯を我慢したりするということもあったそうで、全力で応援してくれていたことが分かります。
アメリカで永住権は獲得したものの、1年に1度東京都調布市までお墓参りにきているそうです。
母親の実家は蕎麦屋?
家族で「一休庵」というおそば屋さんに寄ることが大好きだそうです!
このおそば屋さんが、母・美佐子さんの実家ではないか?と言われていますが確実な情報はありませんでした。
しかし、五十嵐カノアさんと店主の仲が良く、一緒に蕎麦を作ったこともあるそうです。
美佐子さんの実家が「麺のレストラン」という噂もあるので、もしかしたら可能性は高いかもしれませんね。いかがだったでしょうか?
五十嵐カノアさんは両親の夢の体現者だったことがわかりました。
プロサーファーになるために、アメリカへ移住したこと、環境を整えたこと、教育面でも指導を怠らなかったこと、そして何より五十嵐カノアさんが期待に応える努力をしたこと。
これら全てが揃って、今の状況があるともいえるのではないでしょうか?
ぜひ東京オリンピックでは結果を残して欲しいですね!
