不倫疑惑と離婚が噂されている、福原愛さん。
その父親の福原武彦さんにも、かつて偽装離婚の噂がありました。
そして福原愛さんと、絶縁状態になっていたそうです。
今回は、福原愛さんの父親についてご紹介します。
福原愛の父親の現在は?
福原愛さんの父親の名前は、福原武彦さんです。
卓球経験がないにも関わらず、「泣き虫 愛ちゃん」への熱血指導で度々メディアに登場していました。

父親の現在について調べてみると、2013年10月6日に肝臓がんで亡くなっていました。
しかも他界した時は、福原愛さんとは絶縁状態だったそうです。
父親の福原武彦さんとは、どのような方だったのかまとめました。
福原愛の父親はどんな人?振り回された家族
福原愛さんは、13才という若さで日本代表に選ばれました。
幼少期から、天才卓球少女として注目されていましたね。
明石家さんまさんと、テレビ番組で勝負をして泣いてしまい国民的人気者でした。
父親の福原武彦さんは、卓球経験がありません。
母親の千代さんは、卓球経験がありましたが福原家では父親が絶対というルールがありました。
指導も極端で試合の結果が悪いと、コロコロと指導法や環境を変えていたそうです。
一家全員が、振り回されていたのでした。
- 王子サーブを会得する為、有名コーチがいる大阪へ仙台から引っ越した
- 中学はスポーツの超名門の青森山田中学へ入学させた
- 早稲田大学へ進学後、中国リーグへ参戦させたが半年で辞めさせた
- 帰国後は日本リーグや大学リーグへ参戦させた
- 2006年アジア競技大会で負けた為フォームを改造を要求した
1度の試合結果が全てという感じで、その都度環境を変えてしまったのです。
父親の借金を福原愛が返済していた
父親の福原武彦さんは、3億5000万円の借金がありました。
そのほとんどを、福原愛さんが返済していたそうです。
その経緯をご紹介します。
不動産会社が倒産
父親の福原武彦さんは、1990年(当時55才)の時に不動産会社を立ち上げました。
福原愛さんが、2歳になった頃です。
宮城県仙台市で営んでいました。
父親の福原武彦さんの教育方針は、「やるなら最高の環境を」という気落ちで、子供にお金をかけることは惜しまなかったそうです。
福原愛さんの10歳年上の兄が、東京にいる卓球元チャンピオンの中国人を仙台に呼び、月2回の指導を受けていたのです。
しかし交通費や宿泊費等を考えて東京から仙台に移住してもらって、毎日指導を受けられる環境を整えたほどです。
そして、福原愛さんも3歳の時にラケットをもらい、一緒に指導を受けるようになったそうです。
ここから「泣き虫愛ちゃん」と両親の、メディア露出が増えていったのでした。
専用の卓球場を作ったり、遠征費、週末は栃木県の有名な卓球クラブに通うなど、お金をたくさん使ったそうです。
ところが、1998年2月に不動産会社「福原産業」が倒産。
3億5000万円の負債と、債権者から1億5600万円の返済を迫られる多額の借金を負ったのでした。
「武彦さんは90年から建設会社を営んでいました。代表は妻の千代さんが務めていましたが、経営はうまくいかなかったようです。事業に絡んだ連帯保証によって1億4000万円もの負債を抱えてしまったそうで、結局、家族の知らないうちに金額が膨れ上がってしまった。負債の原因は武彦さんが会社の金を使い込んだからとの話もありました」(スポーツライター)
引用元:Asagei plus
福原愛さんは、当時10才の時でした。
福原愛の契約金で借金を返済してた
福原愛さんは、1998年7月に「ミキハウス」と契約をしました。
10歳で多額の契約金を手に入れるのですが、全て父親の算段だったと言われています。
そして、2001年に福原愛さんは青森の中学校に進学し(させられ?)
ミキハウスが、青森に福原愛さんの為のジュニアスポーツクラブを設立するほどの期待されていました。
福原愛さんは、グンゼ・永谷園・ハドソンなどの大手企業とのCM出演をしていました。
CM1本のギャラは1000~3000万とも言われています。
また、テレビ出演もこれまでに1000回以上ありました。
しかし、そのギャラすべてが、借金返済に当てられたそうです。
福原愛の父親と母親は偽装離婚をした?
生活苦の中でも、親子で卓球に打ち込んでいたのですが、両親が離婚をしたのでした。
2004年5月に離婚。
福原愛さんが、青森山田高校に進学した15歳の時でした。
しかし、離婚後も試合会場には父親の姿もあり、今までと変わらない様子だったそうです。
そこで浮上したのが、偽装離婚疑惑でした。

この離婚のタイミングが、1億4000万円を期日までに返済しない場合、債権を第三者に譲渡するという通知がきた、ほんの数日後だったからです。
第三者に債権が譲渡されるということは、福原愛さんのギャラも差し押さえられる可能性があったのではと言われています。
離婚して、父親のみが負債を背負うという形にして、自己破産などを考えていたのではと推測されています。
父親は家を出て行きましたが、2キロ先に住んでいたそうです。
福原愛の父親は契約金目当てで移籍させた?
福原愛さんのギャラだけでは、借金の返済は追いつかなかったようです。
父親は考え、2005年3月に「ミキハウス」からの、4年で2億の契約延長を断りました。
そして1億円の契約金で「グランプリ」に移籍させたと言われています。
「グランプリ」は、2年間の中国リーグ参戦の支援も約束してくれました。
ところが、今度は4年間の契約期間を2年で切り上げ、別の企業へ移籍させます。
福原愛さんが早稲田大学へ進学するタイミングで、2007年4月3日に全日本空輸(ANA)へ移籍しています。
これもまた、契約金目当てではないかと憶測が飛びました。
「大学進学で東京に住むこともあり、環境すべてを見直したかった」
父親の福原武彦さんは、ANAへの移籍についてこう話していました。
福原愛と父親が絶縁
福原愛さんの関係者は、父親の場当たり的な指導と、契約金目当ての移籍の繰り返しにより、ストレスを抱えていたと話しています。
そして、ついに福原愛さんの気持ちが途切れてしまったのです。
19歳となった2008年に、父親との絶縁を決意したのでした。
福原愛さんは、北京オリンピックで期待されていたメダルが獲得できませんでした。
そして中国テレビのインタビューで
「家族全員の稼ぎを担っているそうですが、大変ですか」
とストレートな質問をされ、溜まっていたのか泣いてしまったのです。
もう限界だったのかもしれませんね。
福原愛さんは、兄にこのままでは結果が出せないと相談したのです。
そして、兄から父へ「もう愛に関わらないで欲しい」と伝えたのでした。
父親と絶縁状態となり、マネジメントも父から兄が引き継ぐ事となったのです。
それからは、父親は市会会場に一度も来なくなったそうです。
兄と母親は、母「千代」・兄「秀行」の名前から一文字ずつとって個人事務所「千秀企画」を設立して、福原愛さんをサポートして行ったのでした。
絶縁した後の、福原愛さんの成績は上がって行きました。
- 2009年7月: ITTFワールドツアーモロッコオープン・シングルス、ダブルス優勝
- 2009年12月:東アジア競技大会ダブルス優勝
- 2012年1月:全日本卓球選手権大会シングルス初優勝
- 2012年:ロンドン五輪 女子団体初の銀メダル
- 2013年1月 :全日本卓球選手権大会シングルス2連覇
- 2016年:リオ五輪 女子団体で銅メダル
と、本来の実力を発揮して行ったのでした。
福原愛の父親の絶縁後は?
絶縁状態となった父親の福原武彦さんは、故郷の秋田県へ移り住んみました。
秋田県湯沢市の温泉関連会社の役員に就任し、晩年を平穏に過ごしたそうです。
2013年10月6日に秋田県内の病院で闘病の末、肝臓がんで他界されました。
当時、福原愛さんは24歳で、看取ることはありませんでした。
「2008年の終わり頃を最後に、一度も会っていない状態にありました」
「以後は電話やメールでのやり取りも、一度もない関係となりました」
卓球東アジア競技会中で、FAXでコメントをしたのでした。
この内容で、世間が絶縁状態だった事を知ったのです。
その後の、インタビューや記者会見などでは、卓球以外の質問はNGとなり、父親については絶対に話さないというスタイルを貫いています。