ラグビー日本代表のフッカー堀江翔太選手。スクラムの要となる頼れる男です。
私生活では娘と奥さんを大切にする家族思いな優しいパパ。
体格の大きい外国人選手にぶつかって行く強靭な強さを身につけるまでには、相当な苦労がありました。
その強さの根底にあるのが今は亡き父親との約束だといいます。
堀江選手とお父さんの関係を調べてみました。
目次
堀江翔太選手の父親はガンだった
ラグビーワールドカップ2019日本大会で史上初のベスト8進出を達成し日本中が興奮したその瞬間、堀江翔太選手の父親は天国から見守っていました。
息子の活躍を会場で見たいと、闘病生活を送っていた堀江選手の父、慎一さん。
しかし、W杯開催の約半年前の2019年3月にガンにより他界されました。
2009年ごろに大腸がんが見つかり、すでにステージ4でした。
しかし、そこから堀江選手とご家族の支えがあり10年もの闘病生活を送りながらも、息子の勇姿を見守ってきたのでした。
大腸ガンステージ4の特徴
ステージⅣ:血行性転移(肝転移、肺転移など)または腹膜播種
症状:血便や嘔吐、お腹の張りなど
生存率:2年後まで生存できるのは2人に1人/5年後まで生存できるのは5人に1人
生存率からしても、発見から10年ガンと戦って来られた堀江選手の父親も最後まで諦めない強靭な精神力を持っていたのではないでしょうか。
堀江翔太選手の父親の職業
父、慎一さんと幼少期の堀江選手はどんな関係だったのでしょうか?
父親の職業は着物のセールスマンだったそうです。
全国を飛び回り営業をしていたため、家にはほとんど帰って来ない日々だったそうです。
あまりにも一緒にいる時間がないので、お母さんとお兄さんと3人で父親に会いに日帰り旅行に行くこともあったといいます。
「おやじとの思い出は本当に少ない」
そんな親子の時間が少なかったのですが、誰よりも堀江選手を応援していたのでした。
堀江翔太選手がラグビーを始めたきっかけは父親
幼少期の堀江選手はサッカーをやっていたそうです。
しかし、なんとなく楽しそうにやっていないと感じたご両親が、ラグビーを勧めたのがきっかけでした。
父親はラグビー選手ではありませんでしたが堀江選手の父親も母親もラグビー観戦が大好きだったそうです。
「僕は、ラグビーというものがどんなものかすら分からなかった。ラグビーは父と母のすすめで始めた。父と母はとてもラグビーが好きだった。そして、僕はラグビーをする事になり、激しい戦いを生き抜くことになった」
小学5年生でラグビースクールに入った堀江選手。
当時の様子は今では想像がつかないほど、弱々しくお母さんの影に隠れてしまうような子供だったそうです。
強くなってほしいという父親の願いからラグビーを勧めたのかもしれませんね。
父親の闘病生活を支えた堀江翔太選手
堀江選手は帝京大学卒業後に日本でトップリーグを目指すか、ニュージーランドへ留学するかを悩んでいたそうです。
母親は海外で成功するかわからない状態よりも日本でプレーした方が良いのではとニュージーランド行きを反対していたのでした。

しかし、堀江選手の背中を押してくれたのは父親の一言だったのです。
「お前が決めたんだったら行ってこい」
一緒にいる時間は限りなく少なかったかもしれませんが、厳しく過酷な世界に飛び込もうと葛藤する息子の背中を押したのでした。
闘病生活中の楽しみ
父、慎一さんの体をガンが蝕んで行き、入退院を繰り返しすようになったそうです。
それでも関西で試合があるときには、スタジアムで応援してくれていた慎一さん。
試合の後の、堀江選手との食事が楽しみで、息子のラグビー話しを聞くのが好きだったそうです。
親として自分のことよりも堀江選手の体を心配していたそうで、『ケガだけはしないように』と口癖のように言っていたそうです。
常に堀江選手の背中をそっと押してあげられるのはいつも主人の役目でしたと母、則子さんが話していました。
堀江選手から父へのプレゼント
堀江選手の活躍がガン闘病の励みになっていたそうです。
病室に写真を飾るタイプではなかったそうで、そっと財布の中に幼少期の堀江選手の写真を忍ばせていたそうです。
堀江選手も試合で着用したユニフォームを病室に届けに来てお父さんへプレゼントしていたというのです。
2015年のワールドカップで南アフリカに勝利したあの歴史的な試合の後も、サクラのユニフォームをプレゼントしてもらいとても喜んでいたそうです。
日本が勝利した試合を深夜にも関わらずテレビで観戦していた慎一さんは『えらいことになってるぞ!』と則子さんを起こすほど興奮していたそうです。
父は堀江選手の1番のファン
ガンに侵される前から仕事でどんなに忙しく観戦に行けない時でも、息子の活躍を応援したいと写真やグッズを集めていた慎一さんでした。
ガンの診断を受け入院生活になっても、応援の熱は冷めなかったそうです。
口数が少ない慎一さんでしたが堀江選手がお見舞いに来た時に同室の患者さんに「堀江選手ですか?」と聞かれると目を細めて嬉しそうにしていたといいます。
とても優しいお父さんですね。
「なかなか試合を見られなかったが一番応援してくれた」
堀江選手は幼少期からあまり一緒にいられず、入退院を繰り返しなかなか試合を見にこれなかった父親でしたが、しっかりその愛情は受け止めていたようですね。
堀江翔太選手の父親への思い
2018年の秋に右足を疲労骨折してしまった堀江選手が半年ぶりにニュージーランドで日本代表候補の強化試合にて実戦復帰をしました。
しかしその遠征に出発する直前となる4日前に父、慎一さんが大腸がんで亡くなったのでした。
「父はよく生きてくれた。頑張ってくれた」
そう、空港に待ち構えていた報道陣に語ったそうです。
「僕のプレーをいちばん気にしてくれていた」
ラグビーへの道を与えてくれ、相談にのり、誰よりも応援してくれた父親。
そして、ガンと戦う父の姿そのものが堀江選手へ多くのことを伝えてくれていたのだと思います。

日本開催のワールドカップを会場で応援したがっていた慎一さんですが、天国まで届くほの大声援と堀江選手の活躍はしっかりと届いていたのではないでしょうか。
母、則子さんはいつも慎一さんの写真を持って応援しているそうです。
そして、今でもサクラのジャージが仏壇の横に飾られているそうです。
多大なプレッシャーの中、ワールドカップで力を出し尽くせたのは、「お前が決めたなら行ってこい」この言葉が今も堀江選手の胸に深く刻まれ、諦めない父の背中を追いかけていたからかもしれません。
最愛の父との別れを秘め戦い抜いた堀江選手にエールを送ります。
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