萩生田光一氏とは、どんな人物なのでしょうか?
高校時代に2回停学になったエピソードを持っている、政治家です。
さらに、安倍晋三氏と仲が良いことを自慢して評判が悪いという話もあります。
今回は萩生田光一氏の出身高校や大学など、学歴と経歴をご紹介します。
萩生田光一の学歴は?
萩生田光一氏は、1963年8月31日生まれの東京都八王子市出身です。
父親などが政治家などの家系ではなくサラリーマン家庭で育った、叩き上げの政治家です。
中学校まで地元に通いました。
萩生田光一氏の学歴がこちらです。
- 1976年3月:八王子市立第十小学校卒業
- 1976年4月:八王子市立第二中学校入学(後に転校)
- 1979年3月:八王子市立ひよどり山中学校卒業
- 1979年4月:早稲田実業学校高等部入学
- 2度の停学処分を受ける
- 1982年3月:早稲田実業学校高等部卒業
- 1年浪人
- 1983年4月:明治大学商学部入学
- 1987年3月:明治大学商学部卒業
早稲田実業学校高等部(偏差値76)の在学中に、2度停学を受けているそうです。
高校時代はリーゼントで、番長とも呼ばれていたとか。

「普通に真面目にやっていればそのまま早稲田大学に行けたんですけど、停学を2回受けちゃいまして、大学の推薦を受けられず、1年間、浪人して明治大学に進みました」
「停学の理由がふるってましてね。1回は卒業パーティーのパーティー券を売り歩いているのが、後輩の告げ口で(バレて)停学。もう1回は、高田馬場で朝鮮高校の生徒と大乱闘になってしまい、警察を呼ばれまして停学に」
引用元:デイリー新潮
と、政治家として資質を問われかねないヤンチャなエピソードです。
これを、2014年に開催した「オフレコ講演」で、武勇伝として語っていたそうです。
停学経験があっても、文部科学大臣や官房副長官にまで登りつめたという自慢話になっているそうです。
明治大学では、ラグビー部に所属していました。
身長180cm・体重は95キロという大柄な体型で、100メートルを11秒3で走っていたそうです。
萩生田光一が政治家を目指したきっかけは?
世襲ではなく叩き上げの政治家である萩生田光一氏は、いつ政治に興味を持ったのでしょうか?
それは、高校生の時のショッキングな出来事だったそうです。
早稲田実業学校高等部は当時、新宿区早稲田鶴巻町にありました。(現在は国分寺市に移転)
八王子から新宿に通学しており、社会科の授業の時に当たり前だと思っていたことが違うことに気がついたそうです。
社会科の時間に「家が汲み取りトイレの人」という質問があった。それで「ハイ」と手を挙げた。
浅川のこちら側は、自分の家の周りは大きなお金持ちの家だろうが何だろうが皆汲み取りだった。
だから恥ずかしいと思った事は無かった、全然。
ところが「ハイ」と手を挙げたのは40人のクラスで自分一人で「ボットン八王子」とか言われ、それが凄いカルチャーショックで「おれんち何でボットンなんだろう」と思ったのが、行政の仕組に凄く興味を持ちだした一番最初のきっかけだった。
引用元:みわちゃんねる
実家の周辺のトイレ事情が、世の中の普通だと思っていたのですね。
自分だけだと知り、帰宅後に母親に「水洗トイレにしてくれ」と言ったそうです。
しかし、母親から「うちはまだ下水が入ってないから無理なのよ」と言われたのでした。
疑問に思った萩生田光一氏は、役所に電話したそうです。
「うちの下水はいつ引かれるのか」と聞いた。
電話に出てくれた市役所の人がすごく親切な人で
「萩生田さんが住んでいる暁町というのは、今使っている東京都の下水処理場に放流予定なので昭和66年以降の予定です」
と昭和53年位に言われた。
それは15歳の少年にとって10年以上先の事はすごい未来の事。そ
れが一体誰が決めるのか、なんでもっと早く処理場を作らないのだと、そこにすごく興味を持ってしまってそういう事は政治によって順番を変えたり早めたりという事は頑張ればできるのではないかと子供ながらに思う様になってうすうす政治家を目指すようになった。
引用元:みわちゃんねる
生活に直結した疑問から、政治家を目指すことになったんですね。
萩生田光一の経歴は?
明治大学商学部在学中に、勉強を兼ねて元八王子市長・黒須隆一氏の秘書になりました。
そこで、地方政治のを学び現場感覚が養われたそうです。
その後1991年で八王子市議会議員出馬し、27歳で初当選します。
1992年に東宝映画「国会へ行こう」に制作・出演し、俳優の緒形拳さんと共演。
という経歴も持っています。
- 1995年:八王子市議会議員に2期目当選
- 1999年:八王子市議会議員に3期目当選
- 2001年:東京都議会に初出馬・トップ当選
- 2003年:衆議院選挙の東京第24選挙区より初出馬・初当選
- 2005年:郵政解散による衆議院選挙・小選挙区連続当選
- 2006年:党青年局長(第41代)、文部科学部会科学技術選任部会長
- 2007年:党副幹事長
- 2008年:文部科学大臣政務官
- 2009年:衆議院選挙落選
- 2010年:千葉科学大学の客員教授に就任
- 2012年:衆議院選挙3期目の当選・自民党総裁特別補佐兼副幹事長兼選対事務局長次長
- 2013年:自民党筆頭副幹事長・総裁特別補佐、選対事務局長を兼任
- 2014年:党筆頭副幹事長、総裁特別補佐、選対事務局長、予算委員会理事、文部科学委員会理事
安倍内閣での就任歴はこちらです。
- 2015年:第3次安倍改造内閣にて内閣官房副長官・内閣人事局長
- 2016年:自民党幹事長代行に就任
- 2019年:文部科学大臣
萩生田光一はなぜ安倍首相の側近になれたのか?
世襲や官僚出身者が多い中で、なぜ叩き上げの萩生田光一氏がなぜ安倍首相の側近になれたのか?
それは若き日の先輩後輩という間柄が、関係しているそうです。
萩生田氏は、27歳で八王子市議選に出馬し、当時では全国で最年少の市議に。そのころに出会ったのが、安倍晋三首相(65)だった。
「2人は、拉致問題の運動を通じて知り合った。萩生田が2001年に都議選に打って出たとき、安倍さんは頼まれてもいないのに、萩生田の応援に来た。萩生田は、それをとても恩義に感じて、忠誠を誓うようになった」(ベテラン秘書)
引用元:Flash
この出会いから、安倍晋三氏を先輩と慕っているそうです。
安倍氏が首相になった後も、後輩の萩生田光一氏を心配して直接電話をしてくるほど仲が良いそうです。
萩生田光一の評判は悪い?
安倍晋三氏と仲が良いということを、自慢げに話し評判が良くないと報じられたことがあります。
2019年11月17日のFlashの記事によると、
萩生田氏の “腰巾着” ぶりの評判は、当然芳しくない。
「何かにつけて、『総理がこう言っている』と、居丈高に指示を飛ばす。毎朝、総理から電話がかかってくるのを、自慢していましたね。『機種変更するときに、数年ぶんの着信履歴を移行して保存した』と誇らしげでした」(自民党中堅議員)
政治家の家系ではないので、安倍晋三氏との繋がりが大事だったようですね。


