安倍晋三首相が無能バカなどと言われていますが、家系図や先祖や一族はとても華やかです。
家系図を辿ると、岸家や皇族との関係もあり兄弟も有能です。
実の弟で、菅義偉新内閣で防衛大臣に初入閣した岸信夫氏は、生まれてすぐに養子に出されています。
▶︎岸信夫は養子と知らずに育った!安倍晋三の驚きエピソード!
安倍晋三首相が総理大臣になれた家系図や先祖について調べてみました。
安倍晋三の家系図と先祖一族には誰がいる?
安倍家の先祖には、政治と大きく関わる人物がいます。
また、政略結婚にも思える縁組が行われていました。
家系図の中には、
- 歴代総理大臣が6人
- 皇族
- 森永製菓
など、ビッグネームが連なっています。
岸信介元内閣総理大臣
安倍晋三首相の母方の祖父、岸信介氏です。
山口県出身の第56・57代内閣総理大臣です。
安倍晋三首相は、幼少期より祖父の岸信介氏より厳しく教育されたそうです。
自民党の初代幹事長に就任した人物です。
佐藤家の次男として生まれた岸信介氏でしたが、中学生の時に父親の実家の養子となり、岸家になりました。
- 1920年に東京帝国大学(現・東京大学)法学部法律学科を卒業
- 農商務省や商工省に勤務や満州国で国務院高官の経歴もあり
祖父の存在が偉大すぎて、安倍晋三首相はコンプレックスを抱えているのは有名な話です。

佐藤栄作元内閣総理大臣
安倍晋三首相の大叔父に当たる佐藤栄作氏。
山口県出身の第61~63代内閣総理大臣です。
佐藤家の三男として生まれた佐藤栄作氏。
ノーベル賞受賞者でもあります。
- 1924年に東京帝国大学法学部法律学科を卒業
- 鉄道省に入り1941年には鉄道省監督局総務局長に就任
- 全国の公共交通機関の整理・統合に尽力を尽くした人物
- 1947年運輸次官に就任
- 1948年民主自由党に入党
- 吉田茂内閣総理大臣の元で内閣官房長官を務める
- 1964年自民党総裁選挙に出馬、内閣総理大臣に就任
非核三原則の表明や、高度経済成長中の日本を支えた7年と8か月もの長期政権でした。
麻生太郎元内閣総理大臣
麻生太郎氏も、遠い親戚に当たります。
麻生太郎氏は、安倍晋三首相の祖父・岸信介氏のいとこの吉田寛氏の奥さんの甥っ子に当たります。
ちょっとわかりづらいですね。
遠すぎる気もしますが、家系図で見ると華麗なる一族の1人として欠かせない人物ですね。
▶︎麻生太郎の家系図もすごい!皇室や戦国時代の祖先はあの人?
麻生太郎氏は福岡県出身の第92代内閣総理大臣です。
元総理大臣の吉田茂氏の孫に当たります。
- 学習院大学政治経済学部を卒業
- 1966年:実家の会社・麻生産業に入社
- 1973年:麻生セメント(現・株式会社麻生)の代表取締役社長
- 1976年:モントリオールオリンピックでクレー射撃の日本代表選手
- 1979年:衆議院議員選挙に当選
- 1996年:橋本龍太郎首相の元で経済企画庁長官に就き入閣
- 2001年:経済財政政策担当大臣就任
- 2008年:第92代内閣総理大臣に就任
- 総務大臣や外務大臣、副総理などを務める
皇族との繋がり
家系図を見ると、安倍家は皇族との繋がりもあることがわかります。
遠い親戚に当たる麻生太郎氏。
その妹の信子さんが宮家に嫁いだことにより、皇族との繋がりができたのです。
大正天皇の孫で、昭和天皇の甥に当たる三笠宮寛仁親王(愛称はヒゲの殿下)に、見初められた信子さん。
当時、26歳の寬仁親王から求婚された信子さんは、まだ16歳の高校生という若さでした。
まだ、若すぎるということで、婚約は8年後だったそうです。
麻生太郎氏と、寛仁親王妃信子様を介して、安倍家は皇族との繋がりができたと言うことですね。
安倍晋三の父親と兄弟はすごい人物?
遠縁や祖父が、華麗なる一族ということはわかりました。
では、安倍晋三首相の父親や兄弟はどんな経歴があるのでしょうか?
安倍晋三の父親:安倍晋太郎
安倍晋三首相の父親・安倍晋太郎氏は、元朝日新聞の記者でした。
衆議院議員の安倍寛(安倍晋三首相の祖父)の長男として生まれ、「政界のプリンス」などと呼ばれていました。
元総理大臣の岸信夫氏の娘と結婚し(安倍晋三首相の母親)たことで、政治家へ転職したそうです。
- 1956年12月:毎日新聞社退社、外相秘書官に就任
- 1957年2月:首相秘書官に就任
- 1958年5月:衆議院議員に当選
- 1967年11月:農林政務次官
- 1974年12月:農林大臣に就任
- 1976年12月:自民党国会対策委員長に就任
- 1977年11月:内閣官房長官に就任
- 1979年11月:自民党政調会長に就任
- 1981年11月:通商産業大臣に就任
- 1982年11月:外務大臣に就任
- 1986年7月:自民党総務会長
- 1987年10月:自民党幹事長に就任し安倍晋三が幹事長秘書となる
- 1991年5月15日:死去
東京帝国大学法学部(現在の東京大学)に進学し、息子の安倍晋三首相へも東大へ行くよう強く言っていたそうです。
勉強嫌いだった安倍晋三首相を、辞書で叩いたりともしていました。
それでも安倍晋三首相は東大には行けず、心配をかけたそうです。
安倍晋太郎氏は、内閣総理大臣目前で病死しています。
安倍晋三の兄:安倍寛信
2歳年上の兄・安倍寛信氏は、三菱商事パッケージング社長です。
幼少期から、安倍晋三首相とは正反対の性格で大人しかったそうです。
- 成蹊小学校からエスカレーター式に大学まで上がる
- 成蹊大学経済学部を経て、東京大学院に入学
- 東京大学大学院を卒業し1975年に三菱商事に入社
- 関西支社副支社長兼中国支社長などの経歴を経て、代表取締役社長に就任
兄の安倍寛信は、親の期待通りに東京大学進学するところから、真面目な性格が伺えます。
安倍晋三の弟:岸信夫
安倍晋三首相の弟の岸信夫氏は、生後すぐに岸家の養子に出されました。
安倍晋三首相とは、5歳の歳の差があります。
母親の安倍洋子さんの兄弟の岸信和氏に子供がいなかったことから、養子縁組されました。
しかし、本人は養子だということを知らされてなく、大人になってから知ったのです。
大学進学時に戸籍謄本を見て、真実に気がついたのでした。
当時、とてもショックを受けてしまい、1か月ほど錯乱状態となり体調を崩してしまったそうです。
▶︎養子と知らずに子供の頃は安倍晋三氏とよく遊んでいた!安倍晋三は養子だと知っていたのか?
幼少期は、元総理大臣で祖父に当たる岸信介氏にとても可愛がられたそうです。
しかし、そのことを安倍晋三氏は面白く思っていなかったというエピソードがありました。
- 慶応義塾幼稚舎からエスカレーター式で進学
- 慶應義塾大学経済学部を卒業
- 1981年:住友商事に入社
- 2002年:住友商事を退社
- 2004年:参議院議員選挙当選
- 2010年:参議院議員選挙再選
- 2012年:参議院議員を辞職し、衆議院議員選挙に立候補し当選
- 2016年:衆議院外務委員長、外務副大臣に就任
- 2017年:3度目の衆議院議員選挙当選
- 2018年:衆議院安全保障委員長に就任
優秀な兄弟と父親に囲まれている、安倍晋三首相。
「無能」などと言われてしまうのは、幼少期からの性格なのかもしれません。

生まれ持った性格は、家系や血筋ではカバーできないということなのかもしれません。
安倍晋三が家系図上、韓国人という噂
安倍晋三首相の家系図について調べて行くと、ネット上には、「先祖に韓国人がいる」という噂があります。
家系図を見る限り、韓国人との繋がりはなさそうですが、話の出処となりそうな記事がありました。
事の発端は、安倍晋三首相の父親・安倍晋太郎氏が亡くなった時でした。
生前、安倍晋太郎氏の家政婦をしていた女性の証言が「週間朝日」に掲載されました。
家政婦によると、安倍晋太郎氏は「私は朝鮮だよ」と発言していたというのです。
家政婦の久保ウメさんは、40年間岸家と安倍家に仕えていました。
「パパ(安倍元外相)は誰にも言えないことを私には言ってくれた」とし「(安倍元外相死去直後)入棺のとき、この人の骨格を見ながら本当に日本人の物ではないと思った」と説明した。それとともに「頭からつま先までまっすぐに横になっていたが、完全に韓国人の体形だ。(安倍元外相)自らも『私は朝鮮だ。朝鮮』と言っていたが、この人は朝鮮人だと思った」
という証言でした。
しかし、この「朝鮮」というのは、朝鮮半島のことではなく、今はない渤海(ぼっかい)という中国の朝鮮半島北部周辺にあった国のことだったようなのです。
安倍晋太郎氏が、安倍家の家系図を見て、平安時代の武将で「朝鮮」出身者がいたのを発見したらしいのです。
この「週間朝日」の記事を引用し、世界日報(保守系新聞)が『安倍日本首相の父親「私は朝鮮人だ」』という見出しで掲載したのです。
そこから、安倍家や安倍政権に不満を持つ人たちなどの間で一人歩きしてしまったようです。


安倍晋三元首相の政治に深く関わる家系だったんですね。